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Channel: 西新宿 Bar BenFiddich(ベンフィディック)
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②後編 BenFiddichきっかけ ワールドベストバー50 アジアベストバー50

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鹿山です。

①前編での続き


前編では

BenFiddichが

2016年 Asia Best Bar50→21位

2017年Asia Best Bar50→22位

2018年 Asia Best Bar50→20位

2019年 Asia Best Bar50→17位

2018年world Best Bar50→36位

2019年 world Best Bar50→49位

に入ったことについて書いた


その話の続きとして


アジアで17番目にすごいBarなのか?

というとそういうことではなくて

ある種の人気投票であるので

17番目にすごいBarというわけではない

知られてないがすごいBarは日本に限らず世界中たくさんある

そこで今回話したいのは

要は

【知られてるか知られてないか】という話しであって、BenFiddichがなぜ知られるようになったかのかについて自分が思い出せる範囲で自分の記憶の為にもここに書き留めておきたい


鹿山は比較的表舞台に立つのが好き

自己顕示欲も強いほうだと思う

それは自分の長所として捉えていて

他のバーテンダーよりは

鹿山は自己発信が得意な方であり

それは賜物でもあると思う

【知られている】

そこに入ってく、最初の一歩は難しいと思う

例えば

一度でもこのworld Best Bar50やAsia Best Bar50

もしくはそれに準ずる何かしらの世界的に認知があるもの、

世界的なコンペティションで優勝する

など

自身のことを知らない人に知ってもらう為の

何かしらのコンテンツ(肩書き)

があると

人は人を紹介しやすい

鹿山は世界で名だたる世界のカクテルコンペティションで世界チャンピオンになったこともない


かといってBenFiddichが

いきなり沸いてきたように

このランキングに入ったかというと...


ある種

沸いて入ってきた


鹿山の場合

なにかのコンペティションでドカーンと優勝して

名前が売れたわけじゃない

ゆっくりゆっくり沸いて認知が増えた


きっかけがあった


これは自分でもよく覚えている

それは2013年

BenFiddichがオープンしたのは2013年7月


だからBenFiddichが開業した年

鹿山はBenFiddich開業前の以前の職場のBarで

店長をやっていた時から

趣味でずぅーっとアブサンを作ってた


これ、あんまここで書くのもどうかと思うが

アブサンを作ってた

2012年、2013年ぐらいの時期というと

世界各国の新進気鋭のバーテンダー達も

自身で蒸留してフレーバースピリッツを自作したりとかが流行ってた時期


鹿山はその時期,狂ったように

アブサンを蒸留して

アブサンを作って

アブサン史を調べまくってた


そんな時にどこでどう見つけたのか

アメリカ方面の媒体で

アブサンの件で取材をしたいと申し入れがきた


日本でアブサンを畑から作っている

クレイジーガイが東京にいるらしいとのことで

どこからかBenFiddichを発掘し

取材の申し入れ


自分も気軽に海外の取材だからいいかなって

気軽に引き受けた


これが全ての始まりだったと思う


そこからたまにチラホラと海外のお客様が

その記事を見てアブサンを飲みに

BenFiddichへやってきた

そうすると

そのアブサンがきっかけでBenFiddichへ来店した違うメディアの方が

気に入ってくれ

違う方向での取材の申し入れが入って。

そしてまたその新しい記事を見た

また違う国のメディアの方が取材を申し入れ、


そしてまたその新しい記事を見て別の国が取材を申し入れ


またその新しい記事を見て......


たぶんその繰り返しで

最初のアブサンの取材が

ファーストインパクトであって

一つのきっかけを中心点として

台風の目のようにグルグルと大きくなって

知られるようになった


だから、今のBenFiddichっていうのは

アブサンがきっかけでそれなりに飛躍でき

成り立ち

今日に至る

そう、アブサン


さらに続きがある


セカンドインパクトとしては

2015年

当時世界中から注目の的であり、

料理業界の世界観を変えた

World Best restaurantで毎年一位に輝く

デンマークの【NOMA】が

東京マンダリンオリエンタルホテルにて 

期間限定の数ヶ月ポップアップレストランをやった時だ

知ってる人は知ってる

蟻を使った料理などで酸をとったり、発酵を得意として世界中から当時注目を集めたレストラン


あの当時 BenFiddichでは

虫の色素で赤くしたカクテルや

自家製で発酵させたルートビアを作ったりなど

ある種共通することをやっていて

それを聞きつけ

連日 【NOMA】のシェフが訪れてくれていた


彼らが東京でのポップアップレストランを終え

国に帰った時、

日本での体験とオススメのBarとして

BenFiddichをメディアによく紹介してくれた


当時無双状態の【NOMA】の紹介だと

拡散力がフルスロットルだ

そこからまた今までと違う各国メディアからの

取材でBenFiddich跳ねたと記憶する


鹿山は運も良かったと思う


BenFiddich開業が2013年

2013年に和食がユネスコ無形文化遺産になり

その後の訪日外国人のインバウンド需要が

2014年以降爆発的に増える


その頃、【ジャパニーズバーテンディング】なる造語も海外から認知され普及した時系列


日本のBar業界も海外に注目されるようになった

だけれども

当時

各国メディアが日本のBarシーンを取材するに当たって日本のBarの情報が少ない

(また日本のバーテンダーは英語が苦手な人も多い)

そうすると海外から頻繁に取材を受けていたBenFiddichのソース元の記事が参考になり

自分達で発掘しないものだから

結果、BenFiddichへ取材の依頼が

無限ループにくる


それはBenFiddichだけじゃなく

当時、いくつかのBarでその現象が起きている


たしか2013年〜2016年くらいまでは

訪日するBar好きの顧客はほとんどが

同じBarをグルグル廻っていた


当時

どこの記事も同じBarを取材し続けていた


そういった経緯もある


2019年においてはそこから数年経過し

裾野が広まった


とどのつまり何が言いたいかというと


時代的な部分を含め

運が良かったと思う


さらに好きで掘り下げていたことが

時代的に適合した


BenFiddichは2019年7月1日をもって

六周年となる


まだまだ若いBarであり6年しか経ってない


ただ、鹿山は幸せだ


小さいBarの個人オーナーバーテンダーとして

好きなようにやりたいことをやれ、

畑もやって蜂も育て好きなことをカクテルに落とし込み、はたまた

未だ見ぬ知らない酒類を見つけては感動し

調べ掘り下げ、充実している


これからも


鹿山博康自身が研磨を続け

まずは10年続ける


そして20年


さらには30年


そこからそれ以上


BenFiddichを守り続けたい


生涯現役バーテンダーとして








長々とご拝読ありがとうございました

BenFiddich7年目もどうぞよろしくお願い致します


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