Bar BenFiddichの店主鹿山です
ロシアと言えば思い付くのは職業柄、思想柄がらで様々であるが、酒類業界の人間ならば
まず思い浮かぶのはウォッカだろう
2019年度は日本にウォッカ協会が立ち上がり
ウォッカの面白さにも気付き始めたのは鹿山です
ウォッカについて全てを書くととんでもない文字数になるので一部抜粋テーマを決めたい
ロシアにあるサマゴンという名の蒸留酒を御存知だろうか?
カネゴンみたいな名前だが、サマゴンだ
ウォッカを知るにはサマゴンを知らなくてはならない
これはロシアの歴史にも通ずる
ロシアの歴史を知るには避けては通れない道であろう
まずサマゴンとはСам(自分)、Гнать(蒸留する)という言葉からСамогон(サマゴン)と呼ばれ、いわゆるロシアの密造という言葉に当てはまる
アメリカ的に言えばムーンシャイン(密造)
スコットランド的に言えばポッチ・ゴー(Poit Dhubh)
その他、スマグラーやブートレグなど様々な隠語がある
ざっくり言えば
サマゴンははロシア版ムーンシャインの事だ
原料は何でも良い。安価なのは砂糖と水とイースト菌のみでアルコールを作り単式蒸留機で蒸留する。少し凝ればジャムも使う
きっちりやるタイプはライ麦、小麦、じゃがいもなどの穀物類
ロシア国内では時代区分でこのサマゴンが横行する時代がある
アメリカにおいての禁酒法は酒呑みであれば周知の事実
ロシアにも禁酒法の時代があった
それが1914年〜1925年。
これが第一次サマゴンブームだ
ロマノフ朝のラストエンペラー
時の皇帝ニコライ二世の皇帝令により発令
酒の飲み過ぎによる男性の平均寿命の短さ、倫理の低下、精神疾患者が多く当時社会問題となった為の策であり
日露戦争敗因の原因の一つでもある
1917年の10月革命『ロシア革命』を経てソビエト社会主義連邦が樹立した1922年も引き継がれた
段階的にビール、ワインは認可されたものの
ウォッカ(蒸留酒)に関しては1925年最後まで禁制
アメリカの禁酒法は様々なドラマが生まれる
禁酒法によりカクテル文化が世界に発信
新しい文化が生まれ、アルカポネに始まるギャングストーリーも生まれ、皆が皆、飲む為の工夫を凝らしたある種の喜劇で暗いイメージはあまり感じられない
ロシアはというと1917年、国がひっくり返った
ロシア革命後においても禁酒法は継続
時のレーニンの同志
中央執行委員会議長のトロツキーの演説
↓
同志諸君
飲酒禁止だ!
正規の衛兵をのぞき、夜八時以後はだれも街頭にいてはならない!
酒類を貯蔵していると思われるあらゆる場所をさがして酒をたたきこわすべきだ!
酒類販売業者には容赦無用だ!
また革命反対派の手引きで組織的に革命軍が押さえていた酒蔵を革命反対派が下っ端兵士達を扇動させ収奪するなど混乱を招いた
無論そんなことをすればそこはロシアである
射殺だ
これに関わったもので射殺されたのは数千人
財産没収及び収容所送りを含めれば膨大な人数になろう
ロシアの禁酒法はアメリカに比べ血なまぐさい
それでもへこたれないのがロシア人の強さだ
そのロシアの禁酒法時代にサマゴンが横行した
これがサマゴン第一次ムーブメント
1917年のロシア革命以降ロシア(ソビエト)の
公式文書に初めて『サマゴン』『Самогон』という言葉は明記された
誰が作った言葉なのかは不明
それ以前の密造の呼称は(主に19世紀)
『корчма』⇨コッチマ 居酒屋
『самим охотником』⇨狩人
『добычу зверя погоней』獣を追いかける
などの隠語があったようだ
今ではグーグル翻訳で
日本語からロシア語に密造で検索をかけると
しっかり
『密造』⇨Самогон(サマゴン)
と変換される
ここまで徹底的に統制しても酒は飲みたいのだろう。国営で作れなくなれば自分達で作る
サマゴン(密造酒)が爆発的需要が伸びる
1923年の調査では農家の10%は密造酒を製造していたといわれ(1923年にはビールは作れるようになり販売されている)
全国の密造酒製造装置は 1千万を超えていたと推定される。一年間に製造された密造酒は、約 1億リットルに達する
さらに使われた穀類は約 4万トンに達し、燃料等も計算に入れると膨大な経済的損失をもたらした
もちろん、禁酒法を施行すれば酒税の税収も入らず
国家財政は潤わない
結果1925年に禁酒法は撤廃
むしろウォッカに関しては税収の為、国家事業として増産体制に入ってゆく
来たるべき次の大きな戦争に備え。
酒類の製造、販売は国家統制独占事業として
スタートした
しかし禁酒法を解放したことにより国家に税収は入るが、変わらずアルコールに関する問題はなくならない。飲み過ぎによる男性の平均寿命の短さ、倫理の低下、精神疾患者は後を絶たない
これは禁酒法を撤廃した1925年以降、幾度となく節酒キャンペーンを図っても効果はなく、
かといって別では財政上の観点から酒類の売り上げの増大が密かに期待されるという矛盾。
この矛盾はソビエト解体まで以後ずっと続いてゆく。
しかしサマゴンに関しては田舎を除けば都市部ではなくなりはしないが禁酒法時代に比べれば落ち着く。簡単なことで容易く手に入る。それによる粗悪な密造酒による健康を害する事件は落ち着いた。
次は
二度目の第二次サマゴンブーム
1985年〜
比較的近世で起こる
二度目は1985年ゴルバチョフ共産党書記長による改革運動であるペレストロイカ(再構築)
その一環として禁酒法ではないが節酒法令。
ウォッカ一本買うにもチケット制。こちらも禁酒法時代と同様の理由での法案であるが
同じ轍を踏み財源圧迫を招き、後のソビエト崩壊に伴い撤廃。
この二度に渡る時代にロシア国内に砂糖不足を招くほどのサマゴンブームが訪れる。
この1985年〜ソビエト崩壊までの数年間のサマゴンブームは凄まじかったとのこと。
サマゴンならマシであって、サマゴン作りで国内の砂糖が枯渇したことによってサマゴンにも事欠く、よって工業アルコール、殺虫剤、オーデコロン、まで飲む始末
手に入らなければ自分達で作る。何としても手に入れる。手に入らなければウルトラCを発動も厭わない。ロシアの強さが伺えたくましい限りである。
鹿山は1983年生まれ。鹿山がこの世に生を受けすぐにゴルバチョフ書記長によるペレストロイカが発令されこの自体が起きてるわけで
サマゴン伝説はつい最近のことのように現代に語り継がれる
今は人差し指一つで世界中の情報を覗き見できる時代
無論、サマゴンインフォメーションもネットの空中上で様々な情報が散見される
少々誇張されてる感は否めないが
なのでロシア ウラジオストクにてゲストバーテンダーとしてのオファーを昨年頂けたのでサマゴン情報を求めにロシアへ行ってきた
現地のバーテンダーならサマゴンについてもちろん詳しいはずだ
それでサマゴンはどうだったのか
ウラジオストクのバーテンダーに聞いてみた
あった
安価なサマゴンは砂糖と水とイーストでできる
鹿山も遊びでやったことがあるが案外簡単だ
ウラジオストクで飲んだサマゴンは何かしらの穀物原料で作っていると言っていた
案外美味い
基本一回蒸留だから日本の焼酎と同じで
原料の味わいがかなり残る
サマゴンとは言わば単式蒸留器で作った
ウォッカみたいなものだ
ある種のウォッカの原型でもある
今のウォッカというのは
1794年に白樺の活性炭でウォッカを濾過する製法が開発されそれ以降ウォッカのクセを削ぎ落としたピュアなスムースな個性を確立し、さらにその後、連続式蒸留機の誕生により現代ウォッカに至る
捉えようではそれ以前のウォッカだろう
もちろん、サマゴンの場合は時代時系列、時代背景が異なる
世の中の、もといロシア(ソビエト)のお国事情様々な要因がぶつかり合い生まれその時代、歴史になぞらえて誕生した文化
だから歴史は面白い
ウラジオストクのバーテンダーに聞いてみた
鹿山
『いまでもみんなサマゴンは作るの?』
ウラジオストクのバーテンダー
『作らないよ、趣味で作ってる人はいるけどそれは趣味、昔は必要に駆られて作った。いまはロシア国内の酒類は安く手に入る』
そう、ネットで見るとあたかもいまでもロシアは
サマゴンサマゴンしてる感があるが
ロシアをもうちょっと知ってればそんな馬鹿なだ
ウラジオストクのバーテンダー曰くそんなことはない
ソビエト崩壊して20数年経過し
プーチンが盛り返した現代のロシアにとってはサマゴンは過去の歴史
サマゴンを作ってる人間は本当の趣味か酔狂な人、リバイバルに挑戦してる人のみだと。
リバイバルに挑戦してる人々がいるということは
一つの時代区分が過ぎたということ
『ひと昔』という言葉の尺度が四半世紀
ちょうどソビエト崩壊して四半世紀以上が経過している
それを物語るのがいまロシアでは
当時のサマゴンに対しての望郷の念と言えばいいのだろうか
正規の蒸留所でちゃんとした造り手によるサマゴンが売られ始めている
正規の蒸留所からの出自のサマゴンだったらサマゴンではないじゃんと思うが
違いは今の現代的ウォッカの活性炭及び連続式蒸留によりスムースを追い求めたウォッカではなく
単式蒸留器で作ったウォッカといえばいいのだろうか。
日本では正規に輸入されてないが
エストニアやベラルーシ、ロシアのいくつかの蒸留所がサマゴンという呼称で作っている
そう、リバイバルが出る、リバイバルの流れが出てるということは一昔前
美味いとか不味いとかの判断じゃない
サマゴンは確かに一つの一時代を築いた
そこにロシア及びソビエト時代の歴史、当時の思想に想いを馳せれればこのエストニア産のサマゴンも美味しく飲めるのではないだろうか