BenFiddich二号店を造作中である。
そう、非常に細かいのだ
長くなったが、
万物の果実はアルコールになるということ
この世界観を伝えていきたい
今宵 西新宿 Bar BenFiddichをよろしくお願い致します
BenFiddich二号店を造作中である。
そう、非常に細かいのだ
長くなったが、
万物の果実はアルコールになるということ
この世界観を伝えていきたい
今宵 西新宿 Bar BenFiddichをよろしくお願い致します
こんにちは 鹿山です
鹿山です。
鹿山です
absintheが禁止になった国々をざっくり列挙していくと
1898年にアフリカ コンゴで禁止
1905年ベルギー
1909年オランダ
1910年 スイス
1912年アメリカ
1913年イタリア
最後に
1915年フランス
最も流行していたフランスでのabsinthe禁制が最後なのは巨大産業となるabsintheの多額な税収を捨ててしまうという国の実情
周りの国々がabsinthe禁制になっていく中
フランス国内では必死にabsinthe禁制免除を訴える対抗勢力が存在
それはもちろん政治業界まで喰い込んだabsinthe愛好家であり、直接的でも間接的でもabsinthe産業に関わるもの達だ
ペルノ一やデュバル、エドワード、キューゼニアなどabsintheを作れるのは大手のみ(粗悪なabsintheの排除)という提案
もしくはさらなるabsintheの酒税への増税など
情状酌量措置を提案するが
当時ヨーロッパを圧巻している(後に繋がるアメリカ禁酒法)禁酒論者のabsintheに対するヒステリックな糾弾
それに拍車をかけて援護射撃するワイン業界によるロビー活動
absinthe禁制の是非
フランス政府も最後の最後まで悩み抜く。
が、
1914年 第一次世界大戦勃発という混乱期、及び贅沢は敵という風潮がトドメを刺してabsinthe及び華やかなベルエポック期の終焉となる
Cusenier(キューゼニア)蒸留所の酸化促進プロセスOxygeneeの記述だ
鹿山が持っている
J.Fritsch の 1904年改訂版
『 Nouveau Traite de la Fabrication des Liqueurs』の古書
原理的には
圧力ポンプを使い、スプレー菅からアブサンをブシャーっと噴射し、分子をバラバラにさせてからそこに酸素をブシャーっと送りこませる。
ものすごい勢いで酸素に触れ合う事で酸化が進み、熟成したようなまろやかな味わいになる。
この工程のOxygeneeはアブサンの高級銘柄の代名詞になる
なぜこの方法がとられたかは、二つ理由がある
①まだまだ科学が未発達だった19世紀アブサン最盛期において、アブサンはワームウッド(ニガヨモギ)によるツヨンの成分に幻覚作用を引き起こすといういわれがありその独自の酸素処理が潜在的に有害な性質を取り除けると主張し、行われた。
②当時、爆発的に人気のあったアブサンの生産が追いつかなくなり、早く出荷させる為にこのような方法がとられた。
(スピリッツ全般にいえることだが、蒸留したてのものは分子結合が終わってないので味わいが荒くしばらく寝かせないといけない為)
今も昔も嗜好品というものに対して人々は様々な工夫をした
禁制前のabsinthe達(1915年以前)鹿山です
BenFiddichの鹿山です
長野県松川町のまし野ワイナリー様の御協力の元
一泊二日をかけての
林檎の収穫
↓
選果
↓
洗浄
↓
破砕
↓
プレス
↓
タンクへ移動(ポンプ)
↓
デブルバージュ(果汁清澄)
↓
酵母添加
体験をしてくる
そこから100リットル以上のシードルを作成予定だ
林檎の収穫
↓
選果
↓
洗浄
↓
破砕
↓
プレス
↓
タンクへ移動(ポンプ)
↓
デブルバージュ(果汁清澄)
↓
酵母添加
ここまでを体験し
アルコール一次発酵
↓
澱引き等を経て
↓
瓶内二次発酵へと進み完成
良い経験ができたと思う
弊社
BenFiddich並びにBar B&Fで飲むことができますので
お待ちしております
今宵、西新宿 Bar BenFiddichお待ちしております
英国のウィリアム・リード・ビジネス・メディア社が2002年に設立した世界的なレストランアワード。年に一回、各国の食の専門家や評論家など930余名の評議委員の投票数により、世界中のレストランの中から選ばれた50店をランキングで発表する。1位のレストランには年間200万件ものアクセスが集中し、ランキングが料理業界だけでなく、観光を含む国の経済効果にも大きく影響するといわれる。
昨今、世界中のBarて個人で蒸留、もしくは業者へ委託蒸留をしてオリジナルのフレーバー.ド.スピリッツを
造るというムーブメントが一部であるのだ
この行為は沸点を利用し、
気化したものだけを取り込み液体に戻すという行為だ
素材によって向き、不向きはあるが
基本的には欲しいフレーバー、味わいを濃縮して
それ以外の不純物をセパレートする行為
大概、飲用物としての不純物というのは
えぐみになる要素であるからして
苦味、えぐみというのは気化しない
カクテル作りにおいて最適な素材となりうるだろう
鹿山も沸点を利用した蒸留が大好きだ
でも沸点を利用した工程がムーブメントなので
今回鹿山はその逆である融点を利用したい
名付けて融点抽出
使う材料はこちらだ
①ピスコ(ペルーのブドウ由来である伝統蒸留酒)
②パイナップル(糖度が高い子を厳選)
③バジルリーフ(香り高い子を厳選)
まず
②のパイナップルと③のバジルリーフを
スロージューサーにかけ、圧搾する
バジルリーフ
を
ブィーんして
次はパイナップルだ
パイナップルにバジルを即席浸漬して
パイナップルバジルを作製
ピスコ 250㎜
パイナップル&バジルジュース 250㎜
これを合わせて
バットに注ぐ
アルミホイルに包む
弊社
マイナス60度まで冷却できる
冷凍庫にいれカッチカッチにさせる
切り分け、
コーヒーフィルターにかませ
冷蔵庫にいれ
マイナス1度に設定
水の凍結凝固点は0度だ
純アルコールの凍結凝固点はマイナス114.5度だ
ピスコ40% 250㎜
パイナップルバジルジュース
合わせればアルコール度数は20%
これに対しての凍結凝固点はマイナス11度だ
パイナップルの平均糖度は15度
糖度15度の凍結凝固点はマイナス2度だ
よって、冷蔵庫をマイナス1度設定にすれば
アルコールとパイナップルの糖度のみを融解することができ、パイナップルのもつ水分は凝固したままセパレートできるのだ
この凝固点の差を利用して融解抽出する
ゆっくり、ゆっくりとポタる
途中経過の画像だ
水分のみが凝固する
完成だ
融点を利用した抽出量 410㎜だ
パイナップルバジルジュース250㎜
ピスコ250㎜
計500㎜のアルコール度数20度に対して
水分を取り除き
アルコールとパイナップルの持つ糖分のみを融点抽出して410㎜の収集量
そのアルコール度数の上がり方の算出は
500(元の総量)➗410(抽出量)=1.2195121
1.2195121×20(元のアルコール度数)=24.39度
の
パイナップルバジルインフューズピスコの出来上がりだ
そして
パイナップルの糖分と
ピスコ
バジル風味の
トリニティが合わさる
パイナップルバジルピスコサワーの完成だ
今宵、西新宿 Bar BenFiddich お待ちしております。
アスター革命によりハンガリー民主共和国(1918年-1919年)
今度はハンガリー革命が起きハンガリー.ソビエト共和国(1919年-1919年)
話が長くなるので端折るがドサクサにまぎれて共産主義が政権を奪取
ルーマニアに奪われた国土を取り戻そうと武装蜂起するが敗走
よって失脚し
ハンガリー王国誕生(1920年ー1945年)
鹿山です。
『Tarragone par les lesPèresChartreux』
そう、chartruseではなく、Chartreux
Chartreuxの意味は
『CompagnieFermièrede la Grande Chartreuse』
こんにちは
まずゲンチアナの根は,ヨーロッパ諸国において薬用として古くから利用されてきた
ゲンチアナの名前の由来は紀元前2世紀ごろのイリリア国(アドリア海沿岸地方)の王ゲンティウス(Gentius)の名前に因む
古代ギリシャ薬草学の父
ペダニオス・ディオスコリデスによると
『ディオコリデスの薬物誌』
ゲンチアナには「その根は温性で収斂作用がある。搾り汁は脇腹の痛み,高い所からの転落による障害,痙攣に効果がある。水とともに服用すれば肝臓や胃病の患者を救う。創傷治療薬として外用する。搾り汁は深く浸蝕した潰瘍の薬になる。また炎症を起こした眼を治療する軟膏にもなる。根は白斑をきれいにする作用がある」
そう、古くから利用されてきた
そして現代においても
食欲増進や消化不良,胃痛,胸やけ,胃炎,下痢,吐き気などの治療に使う
エキスやチンキ剤としてもよく出回っている
エキスは強壮剤として(ツムラの胃腸内服液にも使用)
その他、ネットでも
健康食品、ティーとしても買えるのだ
アブサンabsintheのメッカであるフランシュ=コンテ地域権のジェラ山系のあたりなのである。
この地域は鹿山的聖地アブサン文化圏だ
それとは別に
サパンリキュール(モミの新芽のリキュール)が特産。
さらにはゲンチアナリキュールも特産である。
なぜ特産なのか?
言わずもがな一大自生地であり、ビュンビュン生えてるのだ
毎年鹿山はこのフランスとスイスの国境線の両国のアブサン蒸留所へ自己研磨の為赴く
毎年車を走らせての国境線の山間道中に元気よく生えてるのだ
上記写真は2016年7月に赴いた時の写真だ1. AMERICAN BAR AT THE SAVOY HOTEL, LONDON, U.K
2. DANDELYAN AT THE MONDRIAN, LONDON, U.K
3. THE NOMAD AT THE NOMAD HOTEL, NEW YORK, U.S.A
4. CONNAUGHT BAR, LONDON, U.K
5. THE DEAD RABBIT, NEW YORK, U.S.A
6. THE CLUMSIES, ATHENS, GREECE
7. MANHATTAN, SINGAPORE, SINGAPORE
8. ATTABOY, NEW YORK, U.S.A
9. BAR TERMINI, LONDON, U.K
10. SPEAK LOW, SHANGHAI, CHINA
11. LITTLE RED DOOR, PARIS, FRANCE
12. HAPPINESS FORGETS, LONDON, U.K
13. BAR HIGH FIVE, TOKYO, JAPAN
14. LICORERÍA LIMANTOUR, MEXICO CITY, MEXICO
15. ATLAS, SINGAPORE, SINGAPORE
16. DANTE, NEW YORK, U.S.A
17. ORIOLE, LONDON, U.K
18. BROKEN SHAKER, MIAMI, U.S.A
19. CANDELARIA, PARIS, FRANCE
20. HIMKOK, OSLO, NORWAY
21. THE GIBSON, LONDON, U.K
22. BLACK PEARL, MELBOURNE, AUSTRALIA
23. FLORERÍA ATLÁNTICO, BUENOS AIRES, ARGENTINA
24. OPERATION DAGGER, SINGAPORE, SINGAPORE
25. 28 HONGKONG STREET, SINGAPORE, SINGAPORE
26. TRICK DOG, SAN FRANCISCO, U.S.A
27. SWEET LIBERTY, MIAMI, U.S.A
28. INDULGE EXPERIMENTAL BISTRO, TAIPEI, TAIWAN
29. LOST & FOUND, NICOSIA, CYPRUS
30. BABA AU RUM, ATHENS, GREECE
31. TIPPLING CLUB, SINGAPORE, SINGAPORE
32. BLACKTAIL, NEW YORK, U.S.A
33. JERRY THOMAS SPEAKEASY, ROME, ITALY
34. LE SYNDICAT, PARIS, FRANCE
35. TALES & SPIRITS, AMSTERDAM, THE NETHERLANDS
36. BAR BENFIDDICH, TOKYO, JAPAN
37. EMPLOYEES ONLY, NEW YORK, U.S.A
38. SCHUMANN’S, MUNICH, GERMANY
39. LA FACTORIA, OLD SAN JUAN, PUERTO RICO
40. QUINARY, HONG KONG
41. AVIARY, CHICAGO, U.S.A
42. MACE, NEW YORK, U.S.A
42. NIGHTJAR, LONDON, U.K
44. LINJE TIO, STOCKHOLM, SWEDEN
45. THE BAXTER INN, SYDNEY AUSTRALIA
46. ABV, SAN FRANCISCO, U.S.A
47. NATIVE, SINGAPORE, SINGAPORE
48. TOMMY’S, SAN FRANCISCO, U.S.A
49. LOBSTER BAR AND GRILL AT SHANGRIL-LA HOTEL, HONG KONG
50. IMPERIAL CRAFT, TEL AVIV, ISRAEL
鹿山です
2018年7月1日をもって
Bar BenFiddichは
五周年を迎える
まだまだ五年というと若造、若輩
オープン当初
1人で切り盛りしていたBenFiddichは
今では同ビルに二店舗目をオープン
鹿山含めた5人で切り盛りをしているBarとなった
1人でやっていた頃はある種の独身気分で自由気まま
今では従業員も増えると家族の父親になった気分
これも支えてくださったお客様や関係者、弊社バーテンダーのお陰でここまでこれたと思う
感謝
周年パーティーなどを開催し
自分が主役になるというのは
鹿山は気恥ずかしいし、
あまり柄ではない
ただ
五年という十年に向けた一つの節目として
自分の中ではやはり感慨深いし、考えさせられる
なので、感謝の意を込めて
鹿山のコレクションを一つだけ開けたいと思う
鹿山のabsintheコレクションとしても一番古いボトルいや、absintheではない
absintheの原型だ
absintheの原型ってなんだ?
そう、vermouth(ベルモット)だ
ただ、歴史上のワインにハーブ、スパイスを浸漬させたものの種類を一口でvermouthというのはあまりに広義
割愛するが、
紀元前の文明時代からどの地域にもワインに薬草を漬け込み
医療目的とした滋養強壮はあったのだ
そこにabsintheの主原料である
ニガヨモギ(wormwood)は古くから
vermouthの属性では多く使われている
僕らの知ってる嗜好品としてのvermouthの歴史の確立は1800年代以降
なんで1800年代以降なのか?
大きくは
1700年代後期にイギリスに端を発した産業革命が起き世界観が変わる
物流交通網の整備、富の拡大が増えれば都市部の嗜好品も増え、
さらには現代的医療が確立されてくれば
立証不透明な民間医療薬だった薬酒も立場は変わる
1700年代の終わりには薬液としてのvermouthの使用は終焉に向かう
特にはイタリアとフランスでは
食前酒としての嗜好品として使用が増える
その証拠に
1786年イタリアでは嗜好品としてのvermouthの始祖
Antonio Benedetto Carpano氏が
カルパノ社を興す
いわゆる今のイタリアンベルモットのスウィートベルモットだ
1813年フランス
Joseph Noilly氏によって
みんな大好きノイリープラットも確立
フレンチベルモットの元祖であり、いわゆるドライベルモットだ
vermouth以外にも様々な薬酒というのは嗜好品に転換
アマーロ、アブサン、シャルトリューズ、ベネディクティン、etc...こういった1800年以前、薬酒だったものが薬酒の嗜好品としてのブランドを確立し、(薬としての立ち位置が必要なくなる)1800年代以降に形となる
補足するならば
産業革命以前もvermouthは流通している
大航海時代には長い航海に耐えるため
度数を上げ、糖分を加えて保存性を高めて船に積み込まれている。
そう、暑い南方の国へ酒類を搬送するのに
vermouthは適していた。
バーテンダーなら皆が知ってるイギリスのインド植民地時代のトニックウォーターのキニーネによる
マラリア予防の歴史は周知の通り
しかし、キニーネによるトニックウォーターだけではなく
17世紀、18世紀には医療目的かつ嗜好品として
『wormwood wine』『ニガヨモギワイン』が
インド植民地で
普及している。
これは白ワインにニガヨモギを浸漬し、糖分を加えたものだ。
これは胃腸を整えるために推奨された
話は戻り
産業革命以降,以前の世界と世界観の変換により
vermouthが完全に嗜好品となったことは書いた
それではBenFiddichにあるこちらの
1777年以前のabsintheの原型であるボトルについて
書きたい
ボトルとしては1777年以前
なぜ1777年以前かは後ほど書く
その前にこのボトルは
カテゴリとしては
『Vin d'Absinthe de table』
【アブサンワイン】だ
日本のBarブックの歴史教科書に書いてある
今のvermouthの語源は
1500年代 ドイツにあった
白ワインにニガヨモギの花を浸漬し、砂糖を加えた
Wermut(ニガヨモギ)に由来する。
このボトルはいわゆるその類の薬屋で売られていた
アブサンワイン
ラベルを読み解こう
左上からCADET→人の名前
Apothicaire→調薬草師
Rue st Honore N 108 a Paris→薬局の住所
Wermouth?→印字が擦れてわかりづらい(ベルモットと記載されてあるはず)
Vin d'Absinthe de table→アブサンワイン
ラベルの周りの蛇の絵面→ニガヨモギの象徴
旧約聖書より
エデンの園から追放された蛇が這った後に生えた草が【wormwood】ニガヨモギを意味してる(と思う)
ここで一番大事であり
1777年以前とわかるのが
【Apothicaire】の記載だ
Apothicaire→調薬草師
1777年
当時のブルボン朝 フランス王国のルイ16世の号令のもと法律が作られ
調薬草師が薬剤師になりライセンス制度になる
詳しくはこちら
↓
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Apothicaire
【Apothicaire】→【Pharmacie】
になる
日本語だと言葉変換するならば
【調薬草師】→【調剤師】
フランス行くと薬局がPharmacieなのはその名残
この1777年から
王立薬学大学が創立され、一般学習内容が制定され
薬局(Pharmacie)
の店主のみが薬剤師免許を取得でき、その資格のあるもののみが、薬を調合・製造できるという変更内容
調薬草師や類似のカテゴリーである、スパイス調合家、聖職についている人達の薬作りは、禁止されたのである
よってこのボトルはApothicaire表記
1777年以前ということがわかる
いわゆるabsintheの原型なのだ
そう薬です
このフランス革命以前のブルボン朝末期に仕込まれたであろう代物をどうやって手に入れたのか次回書く
今宵、西新宿Bar BenFiddichお待ちしております
1777年
当時のブルボン朝フランス王国のルイ16世の号令のもと発令された法律が
調薬草師が薬剤師になりライセンス制度になる
詳しくはこちら
↓
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Apothicaire
【Apothicaire】→【Pharmacie】
になる
日本語だと言語変換するならば
【調薬草師】→【調剤師】
この1777年から
王立薬学大学が創立され、一般学習内容が制定され
薬局(Pharmacie)
の店主のみが薬剤師免許を取得でき、その資格のあるもののみが、薬を調合・製造できるという変更内容
調薬草師や類似のカテゴリーである、スパイス調合家、聖職についている人達の薬作りは、禁止されたのである
よってこのボトルはApothicaire表記
1777年以前ということがわかる
これは
いわゆるabsintheの原型であり
【Vin d'Absinthe de table】
薬屋で売られていた胃薬としての用途も兼ねている
中身は
白ワインにアルコール強化、ニガヨモギを漬け込み砂糖で甘みをつけたもの
いわゆるvermouth
では今のabsintheが
今の味わいになったのは
いつ頃のことだろう
歴史の針を進めると
スイス ヌーシャテル州 ヴァルドトラヴェール地方に伝わる
近隣地域伝統薬用酒に目をつけたのが
①商業absintheの始祖 デュビエ公爵
『Dubied pere et Fils』1798年〜
スイス ヌーシャテル州 ヴァル.ド.トラヴェール地方の薬用酒を初めて商業化
『Pernod et Fils』1805年〜創業
後の世界的アブサンムーブメントを作る
(現世界酒類総合メーカーのペルノリカール社だ)
(フランスのポンタルリエにある大規模蒸留所)1800年〜absintheが商業化されてから
年を追うごとに今のabsintheの味わいになってゆく
いわゆるabsintheの三大ボタニカルである
アニス、フェンネルのアネトールの含有量が徐々に増えてゆく
このアニス、フェンネルは
スイス ヌーシャテル州のヴァル.ド.トラヴェール地方の自生植物ではない。
このアニス、フェンネルのアネトールの自然甘味成分の嗜好品は南ヨーロッパ圏の十八番だ。
この南ヨーロッパのアネトール文化と
スイスの高山地帯ヴァル.ド.トラヴェール地方に自生する
ニガヨモギを主体にした緑色系ハーブが合わさったことにより今のabsintheの味わいが誕生する
鹿山が入手した
薬屋で売られていた
【Vin d'Absinthe de table】アブサンワイン
は1700年代のヴァル.ド.トラヴェール地方で作られた
地域伝統薬用酒
とは違っているが
このabsintheの代名詞であるニガヨモギを主体にした
胃薬という点では共通する
ではこの
【Vin d'Absinthe de table】はどこで手に入れたのか?