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Channel: 西新宿 Bar BenFiddich(ベンフィディック)
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フルーツブランデー

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BenFiddich二号店を造作中である。


前回のブログでもまとめたが、同ビルの二階に新しい店舗を作っている 
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2017年3月10日 現在
{3B724D78-01FC-4C08-884F-C50CB48BB486} 
ここまで進む









まだ枠組みの段階だが
鹿山が信頼をしている木工家 佐藤忠也氏の作品だ




楽しみである



9FにあるBar BenFiddich
薬草酒を主体にしたabsintheや,
古い薬草酒(Gin,Amaro)等を多く取り揃え
自身の畑や山から採取したボタニカル、及びスパイスを使用したカクテルをメインにしたBarだ。



  




いわゆる植物が主体である






同ビルの2FのBarはコンセプトを変える








そう、店名は







BAR   B&F と命名








意味はBrandy&Fruitだ





Ben&Fiddichとも掛けている



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BRANDY MADE FROM FRUITS








そう、二号店は







フルーツブランデー及びフルーツカクテル
主体のBARとなる








9FのBenFiddich  が植物主体とするならば








2FのB&Fは果実主体となる








では
フルーツブランデーとは何だ?








広義である







わかりやすく言うと
万物の果実は全てアルコールになるということ








一般的に思いつくのはぶどう由来のコニャックだろう




次にリンゴ由来のカルヴァドスである









しかしながら扱うのは上記のラインナップではない

杏子
プラム
プルーン
洋梨
チェリー
ラズベリー
クワ 
ブルーベリー 
ミラベル 
カリン
イチジク
etc......





そう、


万物の果実はアルコールになるのだ






それを糖化、発酵、蒸留して無色透明になったのが
広義の意味のフルーツブランデーである
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昨年訪れたフランスはフランシュ・コンテ地域にある
Fougerolles(フジョロル)村の Paul Devoille蒸留所の熟成庫

基本、樽ではなくデミジョンボトルにいれて保存する















フルーツブランデーはヨーロッパ全土、歴史伝統的に家庭蒸留として造られたものが文化として広まった

今でもヨーロッパの片田舎では家庭蒸留という伝統がある。

この家庭蒸留こそフルーツブランデーだ

法律上厳しい国もあるが、昔からの伝統であるが為、
黙認されている。
日本でいうとこの各家庭で造られていた梅酒みたいなものだ。
各々家庭の味があったのだ
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ではなぜ、フルーツブランデーが家庭蒸留としての基礎となったのか?
答えは簡単だ。日本の片田舎でもそうがあるように
ヨーロッパの片田舎の農家の家には果樹がある。










果実が実る頃、
近所へ配っても消費しきれない余剰果実ができる










持ってても腐るだけなので、それをアルコールにしたのだ








特に19世紀にはウィスキーでも密造が横行したように
家庭蒸留というのが頻繁に行われた











もちろん家庭蒸留用の小型蒸留機を持っていない家庭もある




 





そんな方々の為にも
19世紀には村のコミュニティに共同蒸留所というのが多く存在した

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昨年、アブサン蒸留所巡りをした際に訪れた
フランシュ・コンテ地域にある小さな村に存在する
共同蒸留施設







屋内は19世紀から存在する
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ここでも主に造られたのもフルーツブランデーである





プラム、アプリコット、洋梨、リンゴ、etc....
近所の人が家庭で採れたフルーツを発酵させて
持ち寄りここで蒸留する









この施設は2017年、現在でも使われている









役場に行って申請書を書けば鍵をもらって
蒸留できる

作った量を申告すればフランスでは100ℓまでOKだ

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こういった共同蒸留所というのはフランスでは
第一次世界大戦の時に多くは取り壊された
時代的な嗜好品排他の流れと物資不足により蒸留設備を資源としてリサイクルする為回収された
これは太平洋戦争末期の日本同様、鉄不足で寺の鐘や鍋が回収されたのと酷似してる








ただ、いくつかのコミュニティは当時保護して
現在でもこういった共同蒸留施設は少なからずだが
残っている








なぜ保護をしたのか?









写真左下の
水場導線が物語る
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蒸留設備がある場所は蒸留したアルコールを冷却する為の水場導線が必ずある






そう、個人宅の水道事情のインフラが整備されていない時代
ここは炊事、洗濯場としても利用





いわゆる




江戸時代の長屋の共同井戸と同じであり




ここヨーロッパでも井戸端会議としての、
コミュニティとしての大切な場所であったのだ
ゆえに保護された
そこに季節で収穫された果実の余剰果実を
アルコールにして、蒸留する為に共同蒸留施設に
人が集まる
素敵な伝統文化だ。





ゆえに鹿山が惚れ込んだのは
いまでも各家庭で家庭蒸留して作られる
フルーツブランデーは
歴史伝統的に現存して
受け継がれる本当の意味でのクラフトだ
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MASTERキートン 発掘:18『夢を掘る人』
浦沢直樹 作

MASTERキートン最終巻でのチャウシェスク政権崩壊後の元ルーマニア秘密警察との攻防の下りで出てくる一幕
ツイカといえばルーマニア伝統のプラムのフルーツブランデー(蒸留酒)だ
この帽子を被ったおっさんの


『うまいツイカ作ったんだ』


この言葉こそ
家庭蒸留の仕事だろう







クラフトと言えば



昨今、大きくクラフトジンブームである

ここまで世界でクラフトジンブームが起きた要因として考えられるのはいくつかある
長くなるので全ては列挙しないが
一つあげるとすれば





地域性が出しやすいのだ




その土地のボタニカルという
その土地でしかない唯一無二のボタニカルという
世界観がジンの個性を彩った

この地域性は大きく市場価値を広げている
地方の地産地消の世界観がマッチングするし
さながら
地産他消という形で外に大きく広がったのが
クラフトジンだ





フルーツブランデーも
クラフトジンと同等のベクトルだ






むしろそれ以上のベクトルがあると考える事ができる







多くのクラフトジンは原料用アルコールというのは
大工場で買い入れ、 
もしくは自社で原料用アルコールを作っているところはそれなりの規模の蒸留所だ
ボタニカルにはこだわるが意外に原料用アルコールに関しては大きく謳うところは少ない
ブランドによっては大工場への生産委託だ





ゆえに話しは戻るが
フルーツブランデーという世界観は
大きいブランドはそれなりの規模の蒸留施設で作られる




ただ、




いまでも歴史伝統的に本当の意味でのクラフトとして作っているのはフルーツブランデーだ






家庭で採れた余剰果実をアルコールにして嗜好品として嗜む伝統文化





その土地の
その土地による気候風土により育まれた
その土地でしかない唯一無二の収穫された果実をアルコールにして蒸留してできあがる



 


フルーツブランデーの地域性が如実なクラフト感がボタニカルを広範囲で取り繕うクラフトジンの世界観をより凌駕すると鹿山は考える







 
 
その世界を新しい店舗である






Bar B&Fでは伝えていきたい






よろしくお願い致します






それではフルーツブランデーは広義なのでもう少し掘り下げたい






まず
国によっても呼び名が違う

フランスなら→Eau de vie (これはブドウも含まれる)


英語圏であれば→ fruit brandy (これはブドウを除外する)もとい、同じ英語圏でもイギリスとアメリカでは解釈は異なる









次に
バルカン半島諸国
(セルビア、クロアチア、ボスニア、アルバニア、マケドニア、ブルガリア、コソボ,ギリシャ)

ここでのフルーツブランデーはラキヤである。
バルカン半島諸国は言語が異なるので、
 rakiya,rakija, Rakia, rachiuと呼び方が微妙に異なるのでラキヤに統一する


ラキヤの名前はオスマン帝国時代のトルコのアニス酒であるラクの派生で、ラキヤとなる

バルカン半島においてのフルーツブランデーは
国民的飲料だ。
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ここでも
杏子
プラム
プルーン
洋梨
チェリー
クワ 
イチジク
マルメロ
リンゴ
ブドウ
などの様々果実から糖化発酵、蒸留して
アルコールが作られる









ラキヤの一つの特徴として、
できあがった果実の蒸留酒から
ハーブで風味づけ、蜂蜜で甘みをつけたもの、
あるいはそこに更に果実を浸漬するラキアもあるのだ








バルカン半島以外の東ヨーロッパである一部の国では
歴史伝統酒として法定義を設けているフルーツブランデーもある。呼称制度を設けて大事に文化を守っている地域もあるのだ。





その東ヨーロッパのフルーツブランデーを紹介しよう



ハンガリーだと  → Palinka パーリンカ

ルーマニア→ Tuika ツイカ







まずルーマニアのツイカについて説明しよう
呼称基準、法律もあるのだ

①ツイカはプラムの発酵、蒸溜によって造られたルーマニアの伝統的な蒸留酒であり、
認められているのはプラムのみで、他の果実から造られた飲料はツイカとは名乗れない
発行は木の樽またはステンレスタンクで行わなければいけない(他の資材はダメなのだ)

②蒸溜は銅のボイラー又は国が認めた蒸溜設備で行わなければいけない

③ツイカは1回蒸溜でも、2回蒸溜でも良い。
熟成も可能だが、木樽熟成、瓶内熟成又はステンレスタンク熟成しか認めらない(他の素材の樽や容器が禁じられている)

④アルコール度数は24度以上でなければならない。熟成期間によって下記の三つのカテゴリーがある

 ・熟成していない:ツイカ
 ・3年以上熟成している:オールド・ツイカ
 ・7年以上熟成している:ツイカ・エキストラ

⑤ツイカの材料はプラムだけで、他の材料の利用は禁止(甘味料、香料、着色料などの使用が禁止)
ツイカはルーマニア全国で造られている





続いて、ハンガリーの呼称であるパーリンカについて説明したい。





パリンカはプラムだけでなく、様々なフルーツの発行と蒸溜によって造られたハンガリーの伝統的な蒸留酒である。
2004年にハンガリーの伝統蒸留酒として法定基準を設けた
①認められているフルーツは:プラム、ミラベル、りんご、ラズベリー、ブラックベリー、アプリコット、桃、洋梨、フサスグリ、ブラックカラント、スコア、マルメロ
②発酵は木の樽またはステンレスタンクで行わなければいけない

③蒸留は銅のボイラー又は国が認めた蒸溜設備で行わなければ駄目だ

④熟成も可能だが、木樽熟成、瓶内熟成又はステンレスタンク熟成しか認められていない

 




パリンカという言葉はもともとお隣のスロヴァキア由来
スロヴァキアからハンガリーに渡り、ハンガリーからルーマニア一部に渡ったと言われる
又、チェコ、ポーランドの一部地域もパーリンカと呼称する
これは陸続きの国にありがちな歴史背景がある
ここに関してはもっと深く掘り下げたい
 





ルーマニアのツイカの話しに戻るが
ルーマニアのトランシルヴァニア地方はその昔ハンガリーに支配されていたため、
「パーリンカ」という言葉が普及したのはハンガリーの影響だと考えられる
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濃いオレンジが狭義のトランシルヴァニア
薄い場所も含めた広義のトランシルヴァニア

ルーマニアでもツイカではなくパーリンカと呼ぶ地域は存在する

又、
ルーマニアのマラムレシュ地方で作られている「ツイカ」を「ホリンカ」と呼ぶ。
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パーリンカに名前は近いがアイデンティティは違う
法律上で「ホリンカ」と「ツイカ」の定義は全く一緒。マラムレシュのツイカであることをアピールしたいメーカーは「ホリンカ」を使う。ホリンカという言葉に歴史的な背景があって、マラムレシュ地方の人々は昔から「ツイカ」ではなく「ホリンカ」という言葉を使っていたので、特別に法律上で認められている。したがって、「ホリンカ」は地理的表示ツイカの意味で、プラム100%のマラムレシュ地方のツイカであることを保証する。
 





そう、非常に細かいのだ







長くなったが、

万物の果実はアルコールになるということ

この世界観を伝えていきたい

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今宵 西新宿 Bar BenFiddichをよろしくお願い致します






シチリア島 カターニアでのバーテンダーとしての仕事

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こんにちは 鹿山です











現在 二店舗目であるBar B&Fを造作中

その合間を縫うように
三月はシンガポールでの
『シンガポールカクテルウィーク』という一週間続くアジア最大級のカクテルフェスティバルでの
ゲストバーテンダーの仕事










四月はイタリアのシチリア島 カターニアで行われる
BarItaliaというBarの祭典及びカクテルコンペティションの
審査員と鹿山個人のマスタークラス開催として召喚された


赤点のここ
カターニア
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最近海外からのオファーが多い











僕でいいんですか?みたいにおもう












恐縮ではあるが
逆に審査員としてはたくさんのカクテルが飲めるという大いなるメリットもあるので快く受け入れて
さっそくイタリアまで行ってきた























ブィーン
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はい    イタリア到着
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経由地であるミラノで一泊
そしてその後、シチリア島はカターニアへ




右手の人差し指と中指にタバコを挟んでいる人物がステファノさんという方で
今回の仕事のオファーをくれた人物でもあり
主催者側のメンバーだ

スケジュール管理は彼がしてくれて
二店舗目の準備もあり
イタリアの事前下調べをしていない鹿山にとっては
彼無しではイタリアの旅は遂行できなかったろう
















そして本来の目的であるイタリアのBarの祭典である
BarItaliaというイベントでのBenFiddichのマスタークラスのセミナーを開催
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ブルブルだ
{11F1DDD4-8DD6-41CD-AC59-D42AFDFED4A7}









日本で行われるバーテンダーのセミナーだと
日本人はおとなしい。
質疑応答でも一部の積極性のある日本人が頑張って質問してるくらいで
過半数の日本人は聞きたいことあっても聴衆の前だと恥ずかしいから終わった後にコッソリ聞きにいこうとするくらいだ

















しかしここは
流石はラテン国家イタリアだ














質問の嵐で収拾がつかないのと、
デモンストレーションで作ったカクテルをいち早く飲む為に席を立ってにじり寄ってくる















この貪欲さ、日本人見習うべきである














あと、自己紹介で鹿山は『アマーロが好きだ』
というと歓声が沸き起こる




前日のミラノのBarであった出来事を喋れば
『イタリアのバーテンダーは日本のバーテンダーと違い、皆が口角を上げた表情の笑顔で喋り接客をしてくれる。素晴らしいことだ』

といえば歓声が沸き起こる


















リミッター振り切れるぐらい自国愛が強い


















主催者側から話して欲しいことを事前にまとめられた

①日本の氷文化について
②ハードシェイクは日本では主流なのか?
③日本においての現在の流行りについて
④BenFiddichでのシグネチャーカクテル






まず①の氷文化だ。
このBarItaliaの大会のメインの賛助会でもある

イタリア国内においてもBar専用として
氷屋が出来始めている

丸氷、ブリリアンカットの氷、などなどだ。


日本の氷の歴史に関しては
『東京府のマボロシ』という本で日本の氷史に関しては言及しているのでその知識を披露







②のハードシェイクについて

イタリア国内において有名な日本人バーテンダーは
銀座Tenderの上田さん。
ハードシェイクの概念を作った人物であり
イタリア人バーテンダーの中ではレジェンド化しているのだ

いまは多様化していることをお伝えした




③日本においての現在の流行りについて

これは難しい。比較的、皆が皆、我が道をいっている


強いていうならネットの普及により
日本と海外の距離が近くなったことにより
海外に出ていく日本人バーテンダーが増えたこと、
及びその経緯をお話しした





BenFiddichでのシグネチャーカクテル


ハーブかスパイスを使ったカクテルをやってくれとの
オーダーだったので
日本から大量の素材を持ち込んだ
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その後、マスタークラスが終わった後に
今回の選手達の目玉である
カクテルコンペティションの開催だ。
恐れ多くも審査員として召喚される
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イタリアにおいて権威のあるバーテンダー達だ







このBarItaliaという大会
毎年開催されているがテーマが毎年変わる

今年はアペリティフカクテルのイタリアNo. 1を決める大会である

そして、各都市チーム対抗戦であること。
 
チームリーダーが台の前に立ってるプレゼンター


そして後ろに立ってる四人がそれぞれの
テーマに沿ったカクテルを作るのだ
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こんな内容である
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①Twist on classic  

②Aperitivo on the go

③Food pairring


採点基準は
味覚
プレゼンテーション
技術
の三項目だ




五人1チーム
各都市の選抜されたチーム編成だ

そして、各賛助会メーカーが入っているので
チームそれぞれに賛助会の会社がつく
上記の写真は
ベルモットやスパークリングワインで有名な
GANCIA社だ。
そこで
GANCIA社の商品を使い
①Twist on classic  

②Aperitivo on the go

③Food pairring

の三つのカクテルをそれぞれ一人一つずつ制限時間内に作る
さらに一人は③Food pairringの為にフードを作る

さらにチームリーダーはプレゼンターで

これで五名1組だ。












この中で特に面白かったのが
 








②のAperitivo on the go だ









わかりやすくいうとテイクアウトカクテルだ








イタリアは最近、Barの外、及び店の共用部分のテラス席から
はみ出た場所でのグラスを傾けて飲むのは
法律で禁止された













危ないからである












通報されたら店側に重い罰金がある















しかし、グラスではなく紙製のコップでならOKとのこと














そこで今回②のAperitivo on the goが種目に加わった


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真ん中のカクテルがAperitivo on the goのカクテルだ

ペットボトルの容器に入ってるのだ
















アトマイザー容器に入ったカクテル
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もうお土産みたいな形のカクテル
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皆がみな創意工夫を凝らしていて面白かった











審査員をやらせてもらい良かったと思う

Aperitivoのカクテルの大会はもとより

やはりイタリアのバーテンダーはベルモットやアマーロの使い方が上手だ

参考になった













そして、今回の裏テーマを決めていた

どこにいってもアマーロを飲むということ』
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この裏テーマは
去年、ニッカウィスキーの仕事で
ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコに赴いた際に
『どこのBarに行ってもサゼラックカクテル』を飲むという所業と同じ鹿山的裏イベントだ。
その際は数十杯のサゼラックを飲難しい


海外に出るとたくさんの刺激がありたくさんのものを吸収できる素地がある
日本と違うからだ

ただ、

短時間でたくさんのことを吸収すると
大抵のインプットが中途半端で終わる


一つのテーマを決めて、絞ってやると
比較対象ができあがるので面白いし、興味深い


鹿山は後者が好きだ



なので、せっかくイタリアに行ってたくさんの素晴らしいお酒達がある中

鹿山は付き合い上の会食の時間以外は
アマーロしか飲まなかった



おかげでアマーロ好きな日本人から
すごいアマーロ好きな日本人に昇格だ










当店にもたくさんのアマーロを大量購入してきたのでお楽しみください







今宵、西新宿 Bar BenFiddich
お待ちしております





Bar B&F 造作過程

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鹿山です。


















二店舗をやるにあたりの決意表明から早4ヶ月が経つ















元々、二店舗目を考えていなかったのが、
なぜ二店舗目をOPENするに至ったかは前のブログを参照














まだBenFiddichに返済が残っているのに
イキって日本政策金融公庫からまたもや借り入れをして
もう
ブルブルな感じの鹿山だが
ようやくOPENの目処が立つ












OPEN日は4月23日の日曜日に決定だ





















このブログはOPENの4月23日までの軌跡を書こうと思う

























元々、足裏マッサージが入っていたが綺麗サッパリにしてもらう{418DAC70-1D2B-4A3B-AE0A-C8ADBC149DB6}
















そして、大事な内装業者だが、
鹿山が独立前からお世話になっている
木工家の佐藤忠也氏にお願いする。
これはBenFiddichと同様だ


彼の工場は福島は白川の栃木との県境の山中にあるので日々行き来した
打ち合わせの段階ではまだ冬だ
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住所登録のなされてない&携帯の電波が弱小な場所が
彼の工場だ
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木工家である佐藤忠也氏は木のプロフェッショナルだ
かれこれ30年以上木と触れ合っているので
彼の工場に保有する材木は多種多様だ









今回右の二番目にある『ネズコ』の木

別名クロベとは呼ばれる

ヒノキ科の常緑高木

木曽五木の1つだ
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これを半分に割り開いて
新店舗であるBar B&Fの御神木とする
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カウンターは彼の保有する今は希少な
ミズナラのカウンターだ
今回はL字カウンターにするので二枚にする
{585C4598-2E9D-4FB3-AE23-7EC11157CFFA}






















これを世界No. 1の乗降客数を誇る新宿駅の駅前で
真昼間から通行人を制止してワイルドに搬入
{F3652E56-606E-4F05-A549-7DD458317628}
















ネズコの木の搬入が最も困難だ
{CDD8DEAD-F97A-442E-9FB0-C5DE0C8E0502}























そこからは着々と造作だ
{78BDB3BE-C1F8-42C2-9ADF-C3D972FC73EF}















こんな感じになる
{EFDAAE46-6614-4EC8-A4B9-2D9D11E8F077}
















煉瓦を貼りそこから漆喰塗りだ
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壁紙貼り、ハンドメイドの『アサダ』の木材で作る
椅子も出来上がる
{A9C38AFD-E53A-49FE-A41D-F06DCD17AAE6}








奥の椅子がハンドメイドの『アサダ』の木で作る椅子
テーブルが『楓』の木
手前のソファーが『栗』の木だ{D2216A30-A76E-4A19-9CD3-1584124D65C9}

















そして『ミズナラ』のL字カウンターも完成だ
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からの、どーん!
大枠が仕上がる
{718400FD-DE0D-416C-80BD-2E48015A766C}














後は細かい部分及び備品調達、各種申請を済ませて
残りOPENまで一週間を頑張る














今宵、西新宿 Bar BenFiddichをお待ちしております





禁制前のアブサン(absinthe)を呑む キューゼニア オキシジェネ

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鹿山です


今回は100年以上前のabsintheについて








当店のBenFiddichには100年以上昔の
禁制前のabsintheがたくさんある
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ファミコンのドラクエで
コツコツとレベル上げをして意味もなくレベル99まで到達して悦に入る少年時代

大人になっても好きなもの(absinthe)をコツコツと収集して
悦の領域に入るのは変わらないのだ


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そして、バラモス城付近に出現するはぐれメタルを倒してレベル99でバラモスやゾーマに対して圧倒的強さで勝利を収める

鹿山はコツコツ型だ









話しは戻り








先日行われた『酒育の会』でabsintheセミナーにおいて講師としてabsintheを語らせてもらった
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内容として

アブサンの歴史及び製造方法の実演

1 アブサンの歴史

2 現代アブサンの現地情報 
フランスアブサンの聖地 ポンタルリエからスイストラヴェール地方の現地レポート

3 ボタニカルブームからの観点による今後のアブサンの流れの考察

4 アブサンを使った古典カクテル&現代版のカクテルの実演

5 アブサン試飲アイテム

6 自家製アブサンの造り方、実演



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このセミナーにおいてのよくあった質問
さらにはBenFiddichのカウンターでの常日頃の
質問としてよく聞かれるのが
禁制前のabsintheと現代のabsintheはどう違うのかという事項











禁制前の基準としての年号は
1915年以前としておく









19世紀後期より


 absintheが禁止になった国々をざっくり列挙していくと

1898年にアフリカ コンゴで禁止

1905年ベルギー

1909年オランダ

1910年 スイス

1912年アメリカ

1913年イタリア

最後に

1915年フランス

 








最も流行していたフランスでのabsinthe禁制が最後なのは巨大産業となるabsintheの多額な税収を捨ててしまうという国の実情





周りの国々がabsinthe禁制になっていく中



フランス国内では必死にabsinthe禁制免除を訴える対抗勢力が存在




それはもちろん政治業界まで喰い込んだabsinthe愛好家であり、直接的でも間接的でもabsinthe産業に関わるもの達だ



ペルノ一やデュバル、エドワード、キューゼニアなどabsintheを作れるのは大手のみ(粗悪なabsintheの排除)という提案

もしくはさらなるabsintheの酒税への増税など

情状酌量措置を提案するが



当時ヨーロッパを圧巻している(後に繋がるアメリカ禁酒法)禁酒論者のabsintheに対するヒステリックな糾弾


それに拍車をかけて援護射撃するワイン業界によるロビー活動

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この当時の風刺画が解りやすい

他のアルコールがある中、特にabsintheが代表して
ギロチン台に登壇させられている









absinthe禁制の是非

フランス政府も最後の最後まで悩み抜く





が、





1914年 第一次世界大戦勃発という混乱期、及び贅沢は敵という風潮がトドメを刺してabsinthe及び華やかなベルエポック期の終焉となる

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話しは戻り

禁制前のabsintheと現代のabsintheはどう違うのかという事項









答えは
absintheという基本概念は大枠でいうと変わらない
ただ二者を比較するとこうだ



現代absinthe(absinthe解禁の2000年代以降)
ほぼ全ての造り手が当時のオマージュとしてのレシピ復刻として造っている

②当時の非absinthe生産国でも作られている

③国によっても異なるがabsintheの主成分における
ワームウッド、フェンネル、アニスなどの成分による薬事法上の基準値が国ごとに設けられる(これは大雑把で守られてない)




禁制前のabsinthe(1915年以前)

①粗悪なネゴシアンが蒸留所から買い入れたabsintheに工業用アルコールでカサ増しされ販売
これは芸術家や一般市民が飲んでいた下級absintheだ
(これに関しては別の時に記事として書きたい)
ブランド名の記載がないabsintheがある




②逆に出所がわかるブランド名が記載されている
absintheは高級absintheだ。
ペルノー、キューゼニア、ベルジェ、エドワード、デュバルなどだ

ブランド名記載の禁制前absintheに関してはいくつか飲んだが
抜群に旨い
良質なアニスはアフターがチョコレートのニュアンスがあり、そこにワームウッドが良質であるならば干し草のようなハーバル感が加わる
このアニスとワームウッドの絶妙なコンビネーションは禁制前のabsintheの特徴だ。
当時一世を風靡していたabsintheなだけに
各々が切磋琢磨した時代だけあり高級ラインナップは
旨い。
それは原料の良し悪しであるが、
需要が高ければ原料も良い。

ボタニカルである原料は保存期間が長ければ質が落ちる。
常に回転していれば原料の質は落ちない

日本に流通する乾燥ハーブ、スパイスの香りがたまに残念なのがあるが、これが原因だろう
消費者に落ちる前にどこかに長く留まっている

absintheの決め手であるニガヨモギも当時は現地で栽培して収穫しているのも強い
いまは他国からの輸入品が多い




③100年のボトルエイジングによる味わい



ボトルエイジングに関しては賛否があるが
鹿山は肯定派だ
何をもってのボトルエイジングなのかは色々と言いたい人はいるが大いに変わる

absintheは単体原料ではなく様々なボタニカルから成す。
この部分でも単体原料のアルコールよりは経年で味わいが顕著に変わる
更に100年の経年によりアルコールの揮発により
液面低下する。
禁制前のabsintheのアルコール設定は基本70度前後だ。
揮発することによりアルコール濃度が下がっても50度代はキープし、
むしろストレートで飲んでも旨い
そして現代においては700ミリボトルが多いが
1930年代以前のボトルはリッター瓶が基本の為
空間における液体アルコール残存量が大きく保存に向く。








以上がざっくりした違いだ







そして
今回 BenFiddichにおいて
紹介する禁制前のabsintheについて御紹介したい
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Cusenier社のabsintheだ。

ボトリングとしての時代は1911年〜1915年である

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この上の表記の『ELIXIR HYGIENIQUE』
が1911年〜1915年
それ以前は『ABSINTHE』という表記なのだ

1910年にはabsinthe発祥の地スイスでも禁制になった為、この1911年〜1915年では表記に対しても気を使われている。


それ以前の画像をネットより拝借した

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表記は『absinthe』だ


この
Cusenier社は日本でもお馴染みのリキュール総合蒸留所だ
今では多数のフルーツリキュールをフランスから世界中に送り出しているビックカンパニー


もとい、この蒸留所の創立は1868年
1870年代から
absintheとKirschを専門とする蒸留所としてスタートをした。



そしてこのCusenier社は
absinthe業界、いや酒類業界としては
初となる酸化熟成促進法(Oxygenee)という新技術を導入する

Cusenier(キューゼニア)蒸留所の酸化促進プロセスOxygeneeの記述だ

{53D8E7BF-2EF9-43E0-8B8C-CA7ACD4C216D}


鹿山が持っている

J.Fritsch の 1904年改訂版

『 Nouveau Traite de la Fabrication des Liqueurs』の古書

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この文献に記載の

Cusenier(キューゼニア)蒸留所の酸化促進プロセス(Oxygenee)の
記述

{C986E374-3F2F-40D2-8334-7D7D3B5DB199}




各部の部品の説明
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原理的には

圧力ポンプを使い、スプレー菅からアブサンをブシャーっと噴射し、分子をバラバラにさせてからそこに酸素をブシャーっと送りこませる。

ものすごい勢いで酸素に触れ合う事で酸化が進み、熟成したようなまろやかな味わいになる。

この工程のOxygeneeはアブサンの高級銘柄の代名詞になる



なぜこの方法がとられたかは、二つ理由がある

①まだまだ科学が未発達だった19世紀アブサン最盛期において、アブサンはワームウッド(ニガヨモギ)によるツヨンの成分に幻覚作用を引き起こすといういわれがありその独自の酸素処理が潜在的に有害な性質を取り除けると主張し、行われた。


②当時、爆発的に人気のあったアブサンの生産が追いつかなくなり、早く出荷させる為にこのような方法がとられた。

(スピリッツ全般にいえることだが、蒸留したてのものは分子結合が終わってないので味わいが荒くしばらく寝かせないといけない為)

















今も昔も嗜好品というものに対して人々は様々な工夫をした

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禁制前のabsinthe達(1915年以前)












一つの時代と文化を創り上げたお酒だ













もちろん現代のabsintheも素晴らしい
これからも進化してゆく











しかし、禁制前のabsintheにはロマンがある











時間の針がその当時で止まっていて、鹿山が生きていない時代に確かにそこに存在した












鹿山はそこに嗜好品としての究極を感じれる














Cusenier absinthe OXYGENEE
1911年〜1915年
歴史を感じながら
是非BenFiddichのカウンターでお飲みになってください

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BenFiddich 四年経過

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鹿山です

















2013年7月1日をもってBenFiddichがopenして四年が経過した
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(四年前の写真である。お祝いで頂いたお花、諸先輩、仲間、お客様から頂戴)












四年前は材木選びから始まった
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製材して
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BenFiddichの柱になってたりする
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BenFiddichのブラックウォールナットのカウンターだ
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時間がなかったのでかなりの急ぎめで工事したのを覚えている
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こうゆう感じで完成
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重機を搬入し
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自分がコツコツ貯めていたものを搬入し
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ゼロベースなのが
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完成
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openしてから四年

















あっという間だ

















10年、20年以上店を守り続けてる諸先輩方を改めて尊敬する

















最初は古巣の港区から新宿区での文化圏の違う場所でのましてや雑居ビルの上層階での開業
一抹の不安はあった


















無論、open当初は暇なBarだ




















ただ、当時は一人でのんびりやっていたので

暇なBarで店主が一人、

お客様はごく数人

和気藹々と楽しくやっていた

一人でやって一人で完結して一人でゆっくりやってるそんな時間が好きだった





















今では有難いことに忙しくしている



















忙しくしていると暇だった時によく来てくれたお客様は足が遠のいた
















状況の変化は変えられない

けれど忘れた頃に思い出した様に顔を出してくれた時には言葉では伝えられないが心底嬉しい














今は

同ビルに二店舗目も作り

従業員もそれなりに抱え

バーテンダー協会の六本木支部長にもなり

育ててもらった恩返しを含め

後進を育てようとも思うようになり
この四年で意識が変わった

昔の様には戻れなくなった















四年でこの変わり様だから
















一つの目標である10年







あと6年間









また大きくBenFiddichは変わるだろう












贔屓にしてくれたお客様、バーテンダー仲間、諸先輩方
感謝すると共に
今後も鹿山博康は目標の10年を目指して
走り続けたいと思っています。






































日本バーテンダー協会六本木支部シードル完成

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BenFiddichの鹿山です



















鹿山は現在、
日本バーテンダー協会六本木支部の支部長だ



















基本的にイレギュラーがなければ毎月、支部において研究会として様々な活動をする

















その、研究会の一環として毎年六本木支部では課外授業をする。






昨年の12月に
六本木支部オリジナルシードルを作ろう
という企画が発足し
遂に
2017年5月
に完成した
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日本バーテンダー協会六本木支部オリジナルシードル






















知ってるようでよく知らないシードル

















りんごの木を見た事もない支部会員もいるだろう




















ということで












長野県松川町のまし野ワイナリー様の御協力の元















一泊二日をかけての

林檎の収穫

選果

洗浄

破砕

プレス

タンクへ移動(ポンプ)

デブルバージュ(果汁清澄)

酵母添加


体験をしてくる

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新宿からバスを貸し切り、長野県松川町に突撃だ



{94F4AE98-FA94-4130-BCA8-33AC47B98402}

毎度の事だが、明け方まで仕事をしているバーテンダーは早朝の集まりに弱い

この日も勿論集合時間に間に合わないバーテンダーが現れる訳だが、
六本木支部は常に定刻出発するので
間に合わない人間は残念ながら
置いていくのだ
{6817A6ED-E82C-4069-B8BC-A65CA702BC79}






















長野県松川町のりんご園に到着
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皆で収穫体験をする
{06F5A0FE-C6A1-4DF0-A53E-98C31EA6EDBB}

170kgの林檎を収穫

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そこから100リットル以上のシードルを作成予定だ

















収穫体験したりんご達を松川町にある
ましのワイナリー様の施設へ運び込む
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林檎を洗浄、選果、破砕
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ブィーン
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酵母添加
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一通り終わったら恒例のレクリエーションだ
弊社BenFiddichの松沢が地元ということで高台にある公園に案内してもらい
東京の中心の盛り場で日々働く六本木支部会員の純真無垢を取り戻し穢れを浄化する
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{8C48E8FB-41F1-4230-A749-39B2C1765420}

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昨年12月の六本木支部の研究会として行った
日本バーテンダー協会六本木支部シードル











そこから半年経過し













完成だ
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あまりBarで取り扱いの少ないシードル


林檎の収穫

選果

洗浄

破砕

プレス

タンクへ移動(ポンプ)

デブルバージュ(果汁清澄)

酵母添加


ここまでを体験し


アルコール一次発酵

澱引き等を経て

瓶内二次発酵へと進み完成








良い経験ができたと思う











弊社

BenFiddich並びにBar B&Fで飲むことができますので

お待ちしております








今宵、西新宿 Bar BenFiddichお待ちしております









Asia Best Bar 50 一芸の強み

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BenFiddichの鹿山です








世界的にも権威のある
World Best restaurant 50










というものがある
 











馴染みがある方もない方も
一昨年日本のマンダリンオリエンタルホテルに店ごと期間限定で移転して来ていたデンマークはコペンハーゲンのNOMAなどは記憶に新しい

貴店は2010年、2011年、2012年、2014年に世界一に輝いている



では一体、どんなものなのか?
以下、とある記事の文面を拝借




世界ベストレストラン50(The World's 50 Best Restaurants)とは

英国のウィリアム・リード・ビジネス・メディア社が2002年に設立した世界的なレストランアワード。年に一回、各国の食の専門家や評論家など930余名の評議委員の投票数により、世界中のレストランの中から選ばれた50店をランキングで発表する。1位のレストランには年間200万件ものアクセスが集中し、ランキングが料理業界だけでなく、観光を含む国の経済効果にも大きく影響するといわれる。



















そう、影響力が大きいのだ














実はウィリアム・リード・ビジネス・メディア社は
レストランだけではなく



World Best Bar50




というBarの部門も実はある





これも世界のBar業界においては権威が強い



ここ、日本においては最近注目が集まり始めている

















それとは別に2016年から








Asia Best Bar 50

というアジア圏のみのBest50も発表された





恐れ多くも
BenFiddichは

2016年に21位
2017年に22位

という光栄な順位を頂いた















有難いのである
感謝致します

















以下、2017年における
Asia Best Bar50のリストだ

1. Manhattan, Singapore

2. Speak Low, Shanghai, China   

3. Bar High Five, Tokyo, Japan 

4. 28 Hong Kong Street, Singapore

5. Indulge Experimental Bistro, Taipei, Taiwan

6. Operation Dagger, Singapore

7. Quinary, Hong Kong, China

8. Stockton HK, Hong Kong, China

9. The Union Trading Company, Shanghai, China

10. Lobster Bar, Hong Kong, China

11. Tipping Club, Singapore

12. Atlas, Singapore

13. The Bamboo Bar at Mandarin Oriental, Bangkok, 
Thailand

14. Gibson, Singapore  

15. Alice Cheongdam, Seoul, South Korea

16. The Pontiac, Hong Kong, China

17. Employees Only, Singapore

18. Backstage Cocktail Bar, Bangkok, Thailand

19. Sober Company, Shanghai, China

20. Native, Singapore

21. Jigger & Pony, Singapore  

22. Bar BenFiddich, Tokyo Japan 

23. The Curator Coffee & Cocktails, Manila, Philippines

24. Zuma, Hong Kong, China

25. Bar Orchard Ginza, Tokyo, Japan  

26. 8 ½ Otto e Mezzo Bombana, Hong Kong, China

27. Charles H, Seoul, South Korea

28. Bar Trench, Tokyo, Japan  

29. D.Bespoke, Singapore

30. Nutmeg & Clove, Singapore

31. Star Bar, Tokyo, Japan 

32. Le Chamber, Seoul, South Korea

33. Janes & Hooch, Beijing, China

34. Q&A Bar, Bangkok, Thailand

35. The Other Room, Singapore

36. Lamp Bar, Nara Japan  

37. Aer Bar & Lounge, Mumbai, India

38. Sugarhall, Singapore

39. East End, Taipei Taiwan

40. Vesper, Bangkok Thailand

41. Omakase + Appreciate, Kuala Lumpur, Malaysia

42. The Chinnery at the Mandarin Oriental, Hong Kong China

43. Potato Head Beach Club, Bali, Indonesia

44. Bar D.Still, Seoul, South Korea

45. ABV, Makati, Philippines

46. Teens of Thailand, Bangkok, Thailand

47. Keepers, Seoul, South Korea

48. Dr. Fern’s Gin Parlour, Hong Kong, China

49. Club Boys Saloon, Taipei, Taiwan

50. The Night Rooster Cocktail Bar, Bali, Indonesia










日本のBarは6件がランクインしている。


しかし、海外で活躍している
日本人オーナーのBarを含めれば
合わせて12件ものBarがランクインしている

これは光栄な事だ



















しかし、ここで疑問が湧くだろう















いったいどんな基準で選ばれているのか?















これはウィリアム・リード・ビジネス・メディア社から投票権を譲り受けた人間が各国に割り振られる









実は鹿山も2016年から投票権を貰っている

もちろん自身のBarには投票できない







毎年投票方法は違う





が、
2017年の投票方法はこうだ





①自身が選ぶBarを7つ答える

②そのうち自国のBarは4つまで。あとは海外のBarを選ぶ

③自身と営業、利益に携わるBarは選べない


ととてもシンプルなのだ















ではなぜBenFiddichが選ばれたのか?

それは
BenFiddichには数年前から海外のお客様がよく来店して頂いている
その影響も強いのだ









ではなぜBenFiddichに海外のお客様がたくさん来るようになったのか?


















きっかけがあったのだ













これは個人の倫理観の問題なのだが
鹿山がBenFiddichをopenする前から



趣味でabsintheを作っていた













全てはそこから始まった










噂を聞きつけた海外のabsintheマニアが発信をしてくれた













そこから海外のメディアが来るようになった












そこから更に別のメディアが
absinthe以外の別ジャンルもとりあげられるようになった













そして現在に至る
















そう、一芸があった
















一芸は大事だ















最近は忙しさにかまけてabsintheに関しておざなりになっていた


   




このような名誉ある賞を頂けたのは





全ては大好きなabsintheから始まったのだ











原点に帰りabsintheを更に極め昇華させようと
思った
2017年の夏
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今宵 西新宿 Bar BenFiddichお待ちしております

融点抽出 クリオエクストラシオンをやってみた

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昨今、世界中のBarて個人で蒸留、もしくは業者へ委託蒸留をしてオリジナルのフレーバー.ド.スピリッツを

造るというムーブメントが一部であるのだ






この行為は沸点を利用し、

気化したものだけを取り込み液体に戻すという行為だ


素材によって向き、不向きはあるが

基本的には欲しいフレーバー、味わいを濃縮して

それ以外の不純物をセパレートする行為

大概、飲用物としての不純物というのは

えぐみになる要素であるからして

苦味、えぐみというのは気化しない

カクテル作りにおいて最適な素材となりうるだろう








鹿山も沸点を利用した蒸留が大好きだ









でも沸点を利用した工程がムーブメントなので

今回鹿山はその逆である融点を利用したい









名付けて融点抽出








使う材料はこちらだ

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①ピスコ(ペルーのブドウ由来である伝統蒸留酒)

②パイナップル(糖度が高い子を厳選)

③バジルリーフ(香り高い子を厳選)






まず

②のパイナップルと③のバジルリーフを

スロージューサーにかけ、圧搾する





バジルリーフ

ブィーんして

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次はパイナップルだ

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パイナップルにバジルを即席浸漬して

パイナップルバジルを作製

{4CCA92F6-0CF6-4B54-B094-777114828E6B}







ピスコ 250㎜

パイナップル&バジルジュース 250㎜

{8888C45B-E2C7-44EF-93C3-ED8BD94D3FB5}


これを合わせて

バットに注ぐ

{AEA1377B-7C94-4FB6-9B74-9EEF1300556D}


アルミホイルに包む

{43B9260C-3E0F-486D-88A9-3846C2A42FD0}


弊社

マイナス60度まで冷却できる

冷凍庫にいれカッチカッチにさせる

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カッチカチだ
{0C43A59B-BDD4-451C-B189-A67EA3D841F7}


切り分け、

コーヒーフィルターにかませ

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冷蔵庫にいれ

マイナス1度に設定

{304FD4F0-7C85-4F3C-8EAD-0FF23DB21082}



水の凍結凝固点は0度だ



純アルコールの凍結凝固点はマイナス114.5度だ


ピスコ40% 250㎜

パイナップルバジルジュース

合わせればアルコール度数は20%

これに対しての凍結凝固点はマイナス11度だ



パイナップルの平均糖度は15度

糖度15度の凍結凝固点はマイナス2度だ




よって、冷蔵庫をマイナス1度設定にすれば

アルコールとパイナップルの糖度のみを融解することができ、パイナップルのもつ水分は凝固したままセパレートできるのだ


       




この凝固点の差を利用して融解抽出する





ゆっくり、ゆっくりとポタる

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途中経過の画像だ


水分のみが凝固する

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完成だ

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融点を利用した抽出量 410㎜




パイナップルバジルジュース250㎜

ピスコ250㎜

500㎜のアルコール度数20度に対して


水分を取り除き

アルコールとパイナップルの持つ糖分のみを融点抽出して410㎜の収集量


そのアルコール度数の上がり方の算出は


500(元の総量)➗410(抽出量)=1.2195121


1.2195121×20(元のアルコール度数)=24.39度

パイナップルバジルインフューズピスコの出来上がりだ


そして


パイナップルの糖分と

ピスコ

バジル風味の


トリニティが合わさる

{ADF85511-9CFB-42A9-832D-D296270B57DA}

パイナップルバジルピスコサワーの完成だ



今宵、西新宿 Bar BenFiddich お待ちしております。


①クロアチア フルーツブランデー紀行 トラヴァリッツァTravarica 自家製で作ってみた

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鹿山です















クロアチアに行ってきました















なぜか?













ラキアの勉強です














今回はフルーツブランデーの
ラキア』
のカテゴリーにおいての
『トラヴァリッツァ』Travarica』

について書く




















まずラキアとクロアチアを語る前に
ラキアはバルカン半島諸国においての
国民的飲料だ
{5E51747B-E038-4717-92FD-9C4184F90EAC}
バルカン半島諸国

(セルビア、スロベニア、クロアチア、ボスニア、アルバニア、マケドニア、ブルガリア、コソボ,ギリシャ)








バルカン半島とは中学生の時に習った
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれる国々だ
近接する大国の利害の歴史から民族、宗教が入り混じる複雑な地域であり
第一次世界大戦勃発の引き金となった国々でもある
{39841855-AF54-4A3C-8445-66E12EE2352E}
サラエボ事件

セルビアの国粋主義グループ黒手組の支援を受けた暗殺団が
オーストリア ハンガリー二重帝国の皇位継承者をヒット
第一次世界大戦勃発





そこから第一次世界大戦が集結し、
セルビア人主導のもと
ユーゴスラビア王国が誕生するが
民族、宗教問題でガタガタの中
第二次世界大戦でドイツとイタリアに併合





第二次世界大戦終結後
七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字を一つの国家として
まとめあげたのが
鹿山の大好きなチトー元帥であり
ユーゴスラビア社会主義連邦の誕生である
{4FEA398E-815D-4A58-90CB-8A0B7485B81F}








そこからは1980年代以降
チトー元帥死後、
また国家が空中分解

民族主義の名の下
スロベニア紛争
コソボ紛争
クロアチア紛争
ボスニア紛争
マケドニア紛争が巻き起こる。
{83E27083-66B9-4963-A023-26FBFC0888DF}






そしてユーゴスラビアは解体
現在の上記地図上
民族ごとに国が別れ現在に至る













鹿山は歴史が好きだ

特に近現代史にロマンを感じる







なぜか







リアルだからだ












そんな行ってみたかったバルカン半島にラキアの勉強として
クロアチアを選ぶ






もう一度おさらいしよう





ラキアとはなんなのか




バルカン半島諸国は言語が異なるので、
 rakiya,rakija, Rakia, rachiuと呼び方が微妙に異なるのでラキアに統一する






ラキアの名称はオスマン帝国時代のトルコのアニス酒であるラクの派生で、ラキアだ



absintheも然り、基本的な酒類ルーツは南から北上してゆく





そのラキアの原料は
杏子
プラム
プルーン
洋梨
林檎
チェリー
ラズベリー
クワ 
ブルーベリー 
ミラベル 
カリン
イチジク
エルダーベリー
ナナカマド
サンザシ
etc......


糖分がある果実は全てアルコールになる




それがバルカン半島諸国におけるラキアだ









目的地クロアチアは
地中海沿岸 ダルマチア地方である都市 ザダル
{BC6BD6B9-F8C5-469E-A937-1E3C5E222075}







ザダルの街の沿岸部
{A82D83D3-D618-4F1E-8AE7-E0A8E0B62323}



様々な種類のラキアも露店に並ぶ
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及び市街地だ
{B4A51A58-85AA-44F5-B3F2-5985FD1C5C5C}
今旅はクロアチアのザダルからハンガリーのブタペストまでのフルーツブランデーの研修だ

鹿山が、フルーツブランデーにハマるきっかけを作ってくれたフルーツブランデーの先駆者である
洋酒ライターの石倉氏
そして同行者の同じく洋酒ライターの沼氏
と鹿山の三人での研修旅行だ







ここは言わずもがな、地中海性気候






地中海沿岸部はユーラシア大陸とアフリカ大陸の交差する場所であり、さらには年間を通して温暖であり
植物多様性な地域だ








ダルマチア地方の植物多様性地域ならではのラキアのアイデンティティとして、そして種類として


Travarica(トラヴァリッツァ) というものがある
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ではTravarica(トラヴァリッツァ) とは?

①ラキアの一種であるkomovicaコモヴィツァ
(ブドウ由来の蒸留酒)に地中海沿岸のハーブを漬け込んだもの



②そのハーブとは、フェンネル、ミント、セージ、ローズマリー、ヘンダールー、カモミール、ジュニパー、タイム、etc....




ブドウ栽培が盛んなダルマチア地方と地中海性気候により多種多用なハーブが歴史的に自生しているエリアならではの必然だ










なので鹿山もクロアチアで作ってみた










まずスーパーでラキアの一種であるkomovicaコモヴィツァを買う
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海反対側のイタリアでもグラッパが盛んであり
ハーブを漬け込んだものも多い


しかし、クロアチアのTravarica(トラヴァリッツァ)
の特徴は
どのブランドを覗いても
確実に瓶に混入しているのが
フェンネルだ










そう、ザダルの街の土があるところを歩けば
鹿山の大好きなフェンネルが大いに自生している
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ここにも
{C1A5823E-CE1A-4C83-9059-6169CEE3BE15}



ここにもだ
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そう、この地中海沿岸部は鹿山の大好きなフェンネルの原産地でもある
フェンネル
古代ローマ、古代エジプトより栽培される歴史ある由緒正しい作物だ
Travarica(トラヴァリッツァ)にフェンネルが混入しているのは地理的要因、及び歴史的に大いにフェンネルが自生しているダルマチア地方必然の理だ






よって、鹿山がダルマチア地方ザダルでは三種、採取

①フェンネルフラワー(横に広がるアネトールの味わい)
②ローズマリー(対照的に深い味わい)
③カナメモチの若枝(バラ科なので枝に甘く立ち上がる香りがある)
このトリニティをブドウ由来のスピリッツである
komovica(コモヴィツァ)に混入 
自家製Travarica(トラヴァリッツァ)を仕込むのだ
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どーん完成
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BenFiddichで飲めます
今宵、Bar BenFiddich   お待ちしております。












ウニクムについて

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鹿山です

















皆様、ウニクム(UNICUM)はご存知だろうか?










Barに三件行けばだいたい一件にはある

ハンガリー特産の薬草酒ウニクム(UNICUM)だ














無論 BenFiddichには様々なウニクムがある
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左から
①現行のウニクム(UNICUM)
②1950年代のウニクム(UNICUM)
③2012年より発売されたUNICUM SZILVA
(ウニクムにプラムを浸漬したもの)
④限定品であるUNICUM RISERVA
(ウニクムとトカイワインの混合熟成)
















今年8月にラキアとパーリンカの生産者を視察する為に訪れたハンガリー、クロアチア。














ウニクム好きの鹿山にとっては外せないコースだ















なので
ウニクムの工場に行ってきた
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ウニクムは
ハンガリーの首都であるブタペストにあるのだ











日本のBarには比較的扱いがあり馴染みのあるウニクムだが、情報はあまりない。
謳い文句も40種類以上のハーブを使った200年の伝統の薬草酒というぐらいだろうか









なので、今回はウニクムの歴史について説明したい













時は1790年
ハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝
ヨーゼフ2世のお抱えの帝医であったZwack氏が
胃腸の弱いヨーゼフ2世に様々な薬効を期待して
作り上げたのがウニクムの原型だ。
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神聖ローマ帝国皇帝
ヨーゼフ2世







そのレシピを元に
孫であった
Jozsef Zwack氏が
1840年に会社を興し
UNICUMが販売されるのだ
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上記左側が
UNICUMの創業者である
Jozsef Zwack氏だ








ウニクムのZwack社の工場内には
ウニクム及びZwack家の博物館も併設される
様々な年代のウニクムが見れ、勉強になるのだ
上記写真左上の赤と白だけのウニクムのラベルは 
1900年代初頭に赤十字社とのお墨付きをもらい同じ色使いのラベルだ
その後、解消し、現在のラベルとなる
上段真ん中のラベルだ
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下記のウニクムのボドルは1956年ハンガリー国内で起きたソビエト連邦の権威と支配に対する動乱
いわゆる『ブタペスト蜂起』で使用された火炎瓶
こういったものも展示される
個人のイデオロギーが
大きくぶつかり合う時代の1950年代、60年代の産物。
鹿山的にある種の大好物だ

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話は戻り

1900年代初頭以降、この時代はウニクム及びZwack家は中欧、東欧において最大のリキュールメーカーとして大いに躍進する
UNICUMの創業者である
Jozsef Zwack氏の孫にあたる
(弟)Bela氏と(兄)Janos氏の手腕によるのだ力だ
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Zwack家の初代家系図
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上記の一番下の子供の写真が四代目
下記の一番上の大人の写真がそのまま四代目で同人物だ
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この時代1910年ロンドン万博においてウニクムはハーブ酒部門で金賞を授かる
さらにはこの時代にZwack家はウニクムだけではなく
パーリンカ、ウォッカ、ジン、ラム、リキュールなど
約200銘柄以上のラインナップのスピリッツ及びリキュールをハンガリーから世界へ輸出するのだ





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Zwack社の代表的な広告ポスター

美人やイケメンではなく
あえて不細工な男を起用する広告で注目を集める
shipwrecked man』難破船の男

難破船で海に浮遊する男の側にウニクムが浮かんでいる事により命が助かるという意味合いを込めた広告
















そこから第一次世界大戦、
第二次世界対戦へと激動のヨーロッパ時代













ハンガリーはというと
両大戦とも敗戦国である









第一次世界対戦によって
1918年 ハプスブルク家のオーストリア.ハンガリー二重帝国が崩壊 
その後の戦後処理として
オーストリアと分離
トランシルヴァニア地方をルーマニアへ
ハンガリー北部をスロヴァキアに譲渡
面積で72%の領土を失い、人口で64%を失う


その後、

アスター革命によりハンガリー民主共和国(1918年-1919年)


今度はハンガリー革命が起きハンガリー.ソビエト共和国(1919年-1919年)

話が長くなるので端折るがドサクサにまぎれて共産主義が政権を奪取

ルーマニアに奪われた国土を取り戻そうと武装蜂起するが敗走

よって失脚し


ハンガリー王国誕生(1920年ー1945年)











ここからは同じドイツと第一次世界対戦の
敗戦国であるからして
時代の流れとして右傾化
第二次世界対戦も枢軸国として参戦だ













もちろんハンガリーのナチス系の影響下に入る


下はZwack家の第二次大戦下の写真
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Zwack家はユダヤ系だ

この時代、ユダヤ人を象徴するダビデの星のマークをつけることを義務づけられた。
(左上の写真)
それはユダヤ人を識別するための標識としてだ



しかしZwack家はユダヤ人ながら
名誉人種としてホロコーストの対象外となる





そこから第二次大戦末期

ハンガリーにソ連侵攻




Zwack社のウニクムの工場破壊
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戦後 ハンガリーはソ連の影響下に入り
共産圏となる













Zwackのウニクム(UNICUM)ブランドも国営となるのだ














当時のZwack家の当主のJanos Zwack氏
アメリカに亡命




そして、ウニクムのレシピをそのままアメリカへ持ち去るのだ






そして国営となったZwackには
弟のBela Zwack氏が残り監督となるが
偽のレシピで製造を続ける
(後に弟のBela氏はイタリアに亡命)











そして、1958年
兄のJanos Zwack氏がアメリカから
ハンガリーの国営のZwack社を提訴

裁判に勝訴し、西側諸国には販売できない権利を得る


そして、弟のBela Zwack氏が
イタリアに亡命し、
イタリアにて
1958年以降 イタリアにて本物のウニクムのレシピで生産を開始する





つまり、
第二次世界対戦終結後から1958年までは

世に流通していたウニクム(UNICUM)は偽物だったということだ
(もちろん東側諸国での流通なので西側諸国には流通は当時していない)




誰か東側アイデンティティで生産されたウニクムを
持っている人がいたら教えてほしい

飲んでみたい






そしてBenFiddichにある
このUNICUM 
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コレクターから購入したウニクムの『1958』の個人印字ラベルの意味がようやく理解できた。

イタリアで製造されたウニクム

要は1958年以降だ









イタリアでの生産となるウニクムUNICUMなのだ











鹿山はオールドボドルが好きだ









もちろん、それは現行とは違う微妙な差異の味わいの違い、瓶内熟成による古酒フレーバー
ラベルの印字、シールで時代を読み取れ、瓶の製造工程の噛み合わせかたなどで読み取れる面白さ
もといそれよりも
その時代に製造されたものが2017年現代に残っている軌跡が想いを馳せることができる楽しさだ
鹿山の中では究極の嗜好品だ













話は戻り
1980年代のペレストロイカから
1991年ソ連解体を契機に













本家本元であるZwack家はハンガリーに帰還する
そして現在に至る












ざっくりだが、これがUNICUMとZwack家の歴史だ

















ではこれからウニクムUNICUMの製造工程について説明だ

下記写真 製造工程
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①原料用アルコールはスウィートコーンだ
そして世界各国のハーブ、スパイスは40種類
(中身は伝統的に秘密だ)

②浸漬法(コールド抽出)、蒸留法の二つを駆使して個別ごとにセパレートして作り混合だ


③それらをバッティングして
三ヶ月ハンガリーオーク樽へ



④製造タンクへ移し砂糖を加える



⑤ハンガリーオーク樽へ
三ヶ月熟成
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⑥熟成したらフィルターをかける。


⑦瓶詰め、出荷だ






今回は製造工程などは短めに端折った。
鹿山的にはハンガリーへ赴き、ボヤッとしたウニクムの歴史を細かく教えて頂いた
それが大興奮だ
おかずになる

歴史を知ればその商品に思い入れができる

これからもウニクムの布教に努めたい






今宵、西新宿  BenFiddich   お待ちしております












































































































ブッキ騎士団 パーリンカ親善大使になる。 自家蒸留の世界観

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鹿山です






8月下旬に赴いたハンガリー、クロアチア視察により

パーリンカ(ハンガリー)
ラキア(クロアチア)
いわゆる
(フルーツブランデー)の世界観を垣間見た



青果市場で売られていたダムソンプラム 
西洋スモモ、プルーンとも言うべきか
東欧にとってのこの品種であるダムソンプラムは
フルーツブランデーの王様だ
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食用として、ジャム加工品として、アルコールとして
広く栽培される
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視察に赴いたハンガリーのアガールディ蒸留所
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視察時にちょうどエルダーベリーが搬入されていた


基本、大手の蒸留所は契約農家から果実を購入する
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破砕され、ジュースとなる





ツィーメレ蒸留所 ここはブタペスト近郊の家族経営の小さな蒸留所だ
プラムを発酵中
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これは林檎
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収穫した果物をペーストにしてイーストを加えるのだ







水はいれない
(パーリンカ法上いれても問題ないがこだわりがあるところは基本、水はいれない)









果実によって変わるがだいたい4週間発酵
糖分がほぼなくなるまでだ








糖度計で0.5パーセント以下になったら蒸留にかける









チェリーやブドウは100キロで10リットルのパーリンカ
  



先ほどの写真のエルダーベリーなどの
ベリー類は100キロで2リットルのパーリンカしか作れない



そう、さきほどの写真エルダーベリーであるならば
ワンショット30㎜で
1.5kgのエルダーベリーが必要となる
贅沢なのだ








ツィーメレ蒸留所の蒸留機
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個人自家蒸留であるならば単式で二回蒸留であるが

半連続式の蒸留機を採用している
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ツィーメレ蒸留は蒸留機は立派だが、
蒸留した原酒は雑に採取だ
こうゆうの好きだ





前留20パーセント
30パーセント
50パーセント


の割合だ



いくつかの蒸留所を視察したが
前留はウィスキーのように次の蒸留には回さず
捨ててしまう



なぜか



フルーツブランデーでよく問題視されるのがメチル含有量だ
原料となる果実類、主にプラム、チェリーなどの果皮に多く含まれるペクチンだ
もちろんブドウにもある
果実は酵母によって発酵し果実の糖分でエタノールを作る
その過程で果実のペクチンがメタノールも生成する。
そこに蒸留をかければ共に沸点は同じなので一緒にやってきてしまう
このメチルは特に前留に多く含まれているので
捨ててしまうのだ





後留に関しては大手の蒸留所に関しては
下級品製品としてもう一度次の蒸留に回して混合する。
もしくは
リキュール用に加工する原酒としても使う







蒸留所の場所によっては前留、後留も捨ててしまっている
男気満載なところもある


ツィーメレ蒸留所のラインナップだ
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年間を通して春以降に果実の収穫期に合わせて様々な
パーリンカ(フルーツブランデー)を作る

イチゴから始まり
チェリー
アプリコット
プラム
カシス
エルダーベリー
ナナカマド
洋梨
ブドウ
そして冬になりリンゴで終わる







鹿山はこのフルーツブランデーという世界観の四季が好きだ
冬が明け新しい期が始まり、
暖かくなり大きく実る
そしてまた枯れる
この一年のサイクルが人間の一生を一年で集約してるようでいつも感慨深い









さらに言うと未だに家庭蒸留という文化が色濃く残っている東欧に魅せられる
収穫期に近隣の余剰果実からアルコールを作り蒸留する。
その近隣地域で自産自消という世界観が好きだ














ひと昔前はその伝統的蒸留酒も老人が飲むお酒
であり、若者離れが著しかった

それは日本でも同じようにひと昔前は焼酎、日本酒がおっさんの飲むお酒でダサいと揶揄されてた現象と似ていると鹿山は思う







が、







近年はどの国も思想的にナショナリズムな流れというのだろうか
自国の又は地域の文化を大切に、それを商材に世界に発信していく流れは日本も同様、世界中であり










ことハンガリー国内でも自国のアイデンティティとしてのパーリンカが再燃している

最近では若者もパーリンカ作りに勤しむ人が増えているそうだ
鹿山も作りたい







その流れの一環として
2012年 パーリンカ法が制定されたのだ


それ以前は着色や香料を使ったパーリンカと名乗るものが多く出回り、パーリンカという本来の伝統的なもの、呼称、品質を守る為に制定されたのだ


主に
①アルコール最低限が37.5パーセント

②添加物禁止

③蒸留をハンガリー国内で行うこと

④果実はハンガリー国内のみ

⑤発酵の段階で果実、イースト、のみで作る
砂糖を使い促すの禁止だ。(水はOK)


ハンガリー国内には野菜を使った(南瓜、人参等)蒸留酒も存在するが厳密には果実ではないのでパーリンカとは基本名乗れない





ここで少し問題があるのが③、④である
『③蒸留をハンガリー国内で行うこと』
『④果実はハンガリー国内のみ』



ということ




前のブログでも書いたが、ハンガリーという国は
もとい日本の島国というわかりやすい立地とは違い 
国境境界線と民族的境界線が必ずしも一致しない





ハプスブルク家が統治していた
オーストラリアハンガリー二重帝国が第一世界大戦後
敗戦国としての解体
トリアノン条約という連合国側とハンガリー王国が 
戦後処理で結んだ条約で
領土を近隣諸国へ分割譲渡される
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緑がイタリアへ
灰色が旧ユーゴスラビアへ
(クロアチア、セルビア、スロベニア等々)
茶色がルーマニアへ
青が今のスロバキアへ
ピンクがポーランドへ



特に旧チェコスロバキアが進駐したスロバキア

ルーマニアが進駐したトランシルバニア方面には
多くのハンガリー系住民がいた地域であったが
国の分割譲渡により多くのハンガリー系住民が取り残される





パーリンカの呼称はハンガリーのものだが
国をまたいだこの国境線の向かい側の国境線地域も
伝統的に呼称はパーリンカ



しかし2012年のパーリンカ法制定により
パーリンカとは名乗れなくなる








困った話しではあるが
しかしそれは商業ベースの話しであって

その地域での自家蒸留は個人消費であって今でもパーリンカと名乗っている






現地通訳で日本語が話せるハンガリー人の方と常に同行し、移動の時はお話しを聞かせてもらっていた
この方、なかなか博学で面白かった

歴史領土問題とハンガリー人(マジャル人)のヨーロッパでの血統的特異性のある民族ながら
近隣諸国と国家レベルで仲が悪い
日本の近隣諸国の関係と似ていて話しを聞いていて興味深い
もちろんそれは国家的、歴史的レベルの話しで個人レベルでは人それぞれだ










ハンガリー人はハンガリー人である事に誇りを持っている人が多い
それはハンガリーに訪れて思った
自国の料理、文化の話しを聞くと嬉しそうに話してくれる








2000年代以降にハンガリーのパーリンカという
自家醸造、蒸留という伝統文化を守る為に
いくつものパーリンカの団体が生まれた









その中に今回同行させて頂いた洋酒ライターである
石倉氏の手引きで
Bukki(ブッキ)騎士団というパーリンカの団体に鹿山入団させてもらえる事になった
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右がブッキ騎士団 団長のヤーノシュさんだ


団長ヤーノシュさんにパーリンカのテイスティング方法及び品質の見分け方について講義してもらった

①良いパーリンカとは
その果実の香りがすること

②色彩は透明であること

③グラスを回すこと(アルコールを揮発させること)
揮発する事により香りが立ち込める

④息をふきかける
or
手で温める
or
回し続ける


⑤香りを聞きながら
その果実を想像し世界を感じる

という


⑥飲み方は5ミリ、口の中に含めて広げさせる。
そして飲み込む
2回楽しむ


⑦ドライチェック

飲み干したグラスの乾いたグラス

良いパーリンカは30分以上しても香りが素敵なのだと








そして団長のヤーノシュさんのお宅にも訪問させてもらった
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ハンガリー国内において自家蒸留の最大の蒸留機の大きさは100ℓまでと決まっている
団長の持つ個人蒸留機は
さすがは団長なだけに法定ギリギリの100ℓだ
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団長にたくさんの自家醸造、蒸留に関してレクチャーをしてもらった

前留はメチルが多いから気をつけ、ボンドのような匂いが強烈なうちは良くないこと

ペーハー値のこと

良い果物の選別の仕方

中留から後留の境目は微かな酸味がでるから
そこがカットの境界線であることetc....











そこで鹿山は
【何でパーリンカを作っているの?】
という不粋な質問を鹿山はしてみた






聞けばヤーノシュさんが子供のときに
おじいさんがパーリンカを作っていた






子供のときはそのパーリンカの良さがわからなかったが
大人になったら父、祖父が作っていたのを思い出し
自分も勝手に気がついたら作り始めたと


だからそれはきっと伝統だからだと


だからパーリンカを作っている














ブッキ騎士団の団長のヤーノシュさんは
2000年代始めにパーリンカコンテストを自発的に始め

今では各地方で行われている自家蒸留の
パーリンカコンテストの主催、運営、審査員として
活動している










そう、パーリンカを愛するがゆえ
パーリンカの普及に努めているのだ















 

そして、鹿山も日本人
外国人として初のブッキ騎士団に入団した
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そう、ちゃんと正装をして叙任式も開いてくれたのだ






バーン
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今回同行した洋酒ライターの沼氏と共に
入団




この機会を下さった同じく洋酒ライターである
石倉氏に感謝です






これから鹿山博康

パーリンカの普及に努めていきたいと思う










パーリンカは面白い









これは日本では米及び穀物文化であり
馴染みがないが
全ての果実はアルコールになる







全ての果実から発酵しそこからアルコールが生成され、各々の果実からの特長である
フレーバー、味わいがある









その良さを日本でも伝えていきたい












































































前編 シャルトリューズ修道院 行って来た

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BenFiddichの鹿山です


今回は鹿山の大好きな
シャルトリューズについて書きたい


シャルトリューズは大きく区分けするならば
修道院系の薬草酒だ

修道士が目的は薬として調剤する為に採取された
草根木皮が原型であり、それが現代的には嗜好品として分派したものだ

鹿山はこのドラクエ的世界観が好きだ


BenFiddichには様々なシャルトリューズがある
{9F5256A6-9BA6-4128-BCB7-8657A7584385}

Chartreuse vep Jaune 1960's
Chartreuse vep Vert 1960's
Chartreuse taragona Jaune1980's
Chartreuse taragona Vert 1980's
Chartreuse taragona Vert 1970's
Chartreuse taragona Vert 1930's
Chartreuse Vert 1960's 
Chartreuse Jaune 1960's
Chartreuse Vert 1940's
Chartreuse Jaune 1940's
Chartreuse Jaune 1950's
Chartreuse Vert 250th anniversary
Chartreuse Vert SANTATECLA
Chartreuse orange 1970's 


鹿山の所有しているシャルトリューズの古酒達だ


是非味わってほしい

そして話は戻り
今年の四月に嬉しい事があった


あるお方が、弊社 BenFiddichにシャルトリューズの社長を連れてきてくれたのだ



いや、もう鼻血が出そうで
たくさんの質問をさせてもらった



もちろん社長というのは1930年代以降に
シャルトリューズ修道院は生産を信徒であった
民間に委託しているので修道士ではない


社長のエマニエルさんとは『今年中にあなたに逢いに行く』
と約束した



そう、なので鹿山はフットワークが軽いので
社長のエマニエルさんに逢いに
念願であるシャルトリューズ修道院及び、
シャルトリューズ蒸留所へ行ってきた
{40ABBC73-418F-475D-908C-527FFCA44753}
シャルトリューズ蒸留所


シャルトリューズ修道院
{8328A1AE-22F0-49EA-BEBD-D4D71B879B60}



ここだ
{EACF7FC4-FDA9-40B3-9323-A34C67CE823E}

山の麓にあるVoironの街にシャルトリューズ蒸留所はある。
しかし、来年度からは蒸留所が移転 赤矢印の山の中
エギュノワールという場所に蒸留施設が移るのだ。
ここは1800年代 シャルトリューズ修道士達がハーブ保管庫に使っていた跡地があり、その土地を活用するそう

青矢印の山中にシャルトリューズ修道院が存在する

そう名前の通りシャルトリューズ山にあるので
シャルトリューズ修道院なのだ

車で険しい山道を走ると辿り着く
{83A52619-C065-41CF-850C-E583600993A8}

登る
{017CF138-C51D-417A-820C-5AB6AEE64B72}




山のある程度の頂上部付近に開けた場所ができ
フォトジェニックな
そこにシャルトリューズ修道院はあるのだ
{D3A71EDC-DFA7-480C-8438-37A77B1F8A82}



車を置いて歩けば
{6D4A6113-354E-49CE-81C6-A1C10FCAEEBF}



到着だ
{8EBEE7A2-2FE1-427F-B930-2E8B61A31580}


もちろん修道院の中には入れない

今でも
30人の修道士達が
毎日祈りを捧げている



毎週月曜日は外出を許されるが
基本的に世俗と隔絶した生活を送っている為寡黙だ




シャルトリューズ修道院の生い立ちは
1084年
ブリューノ聖人が建立した





まずシャルトリューズのボトルにも描かれている
シンボルについて
説明しよう



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Stat crux dum volvitur orbis (ラテン語)

直訳: 十字架は動かず地球は回る

意味
地球は常に自転し、その地球上で起こる全ての物事、全ての生物、全ての感情も変化し続ける諸行無常

その中で唯一無二、十字架=神のみが永遠に不変であるりそれは恒久的に倒れることはない




1084年シャルトリューズ修道院を設立した
ブリューノ聖人が作った理念だ
{F8B21C9D-738E-4A53-8E6F-B9FE9A906798}

真ん中に座っているのがブリューノ聖人だ



そもそも、修道院とはなにか
キリスト教においてイエスキリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をする場所だ
俗世から離れて共同生活のなかに神を希求する
もといそこから
修道士は、修道誓願を行い、厳しい規則にのっとり
禁欲的な修道生活を送る人々




これは現代でも続いている



中世の修道院では自給自足の生活を行い、農業から印刷、医療、大工仕事まですべて修道院の一員が手分けして行っていた。そこから、新しい技術や医療、薬品も生まれている。


ではなぜ修道院から新しい技術が生まれたのか


中世の修道院は王権の保護があり、
それによって修道院を建てることができた
これは信徒だけの寄付金のみではまかないきれない
また世俗の地主と違い遺産配分など分散されることもない為、長年をかけて広大な土地を収める地主にもなっていく

そう、経済力があった

経済力があればある種なんでもできる

一般の人が手に届かない、水車、風車を作り
製粉業を行なったり、
最新の農耕具を購入
(この時代の最新は牛を使って畑を肥やす牛耕などのことだ)
生産性も他に比べれば大きかったはずだ

その地盤があれば
医療、学問にも力を注ぐことができる


この時代の医療とは草根木皮からなる生薬だ





これがシャルトリューズの原型だ



ではいつからシャルトリューズ修道院で
シャルトリューズがシャルトリューズになったかというとこと


1605年  
パリからスタートする
パリのシャルトルーの修道士
(シャルトリューズの修道院にいる修道士達と同じ考え方を持ち、信仰する一派
彼らは修道生活には入らない)
が、
Francois Hannibal d’ Estrées 
(フランソワ・アンニバル・エストレ)という軍事外交官より、エリクサーのレシピを寄与される
{D7B4CBF6-DC64-400D-8A6D-07AFC7E17BC2}



このエリクサーがシャルトリューズの信徒に渡り
リキュールの女王と謳われるシャルトリューズの起源だ

しかし、このシャルトリューズの原型の起源は謎のままだ


時系列的にはこの1605年は大航海時代ど真ん中だ


世界中の草根木皮が手に入りやすくなり、
流通が用意になった時代

この時代に更にエリクサーといわれる世界観の材料は使用範囲の幅が広がり研究が進む
その折に誰かが完成させたレシピなのだろう




そこから
この様々な薬草を調合したレシピが100年の時を経て
1735年
シャルトリューズの本山であるグルノーブルの街に伝わり
1737年シャルトリューズの修道院に蒸留所が開かれ、蒸留開始される

この時にできたのが
アルコール度数69%
Elixir Vegetal de la Grande Chartreuseだ




基本的に薬として作られていたエレクシールベジタブルだが、やがて薬としてではなく
美味しいと評判がつき
飲用として嗜好品として飲むものが増える



そこから飲みやすく改良されたのが

1764年 
みんな大好き
グリーンシャルトリューズが誕生だ

これは度数を55度に下げ飲みやすく改良され
今日に至る



そこからはヨーロッパ史でも名高い市民革命



フランス革命1789年勃発

絶対王政、封建的な社会構造に対する蜂起で
フランスの社会構造が壊れた革命である



その一環として
反教権主義な非キリスト教化が推し進められた



なぜか



当時の教会の汚職や上級聖職者の富の占有に対する
抗議から
そこに目をつけ
フランスにおいてカトリック教会が保有していた大量の土地、権力、財産の公的な接収を実現させた


この時代、国家財政がジリ貧だったのでその接収した土地を担保に財政を立て直したのだ



 この時、カトリックであるシャルトリューズ修道院の修道士達も身の危険を感じ国外へ亡命
又は捕まった修道士もいた



事実上解体


しかし、シャルトリューズの修道士でレシピ、製造を担当していた修道士は製法を記した写本を作り秘伝のレシピを守ろうとした
レシピ及び製造を担当していた修道士はその後捕まったが
そのレシピを友人のドムさんに託す



がしかし、ここでドムさん
    

フランスで秩序が戻る気配がないと悟ると
グルノーブルの薬剤師にレシピを手放す&売却



次にグルノーブルの薬剤師は
1810年に古文書として保管するよう帝国内務省に送付した
しかし保管の懸案は内務大臣により却下、
古文書にするほど価値がないとの判断が良くも悪くも下された
またグルノーブルに返還されたので現地の司祭が保管する


そこから時を経て
1789年フランス革命の混乱期から
軍事クーテダーを起こし皇帝に即位した
ナポレオンが失脚する1815年


その翌年


1816年にようやくシャルトリューズの修道士達は
シャルトリューズ修道院に帰ってくることができたのだ
そしてレシピも返却をしてもらう



そして時間をかけて落ち着いた頃に
修道士がこの写本をもとに1835年に再び製造を始め

そう、46年間空白の期間があったのだ



そして1838年
シャルトリューズ.イエローが誕生する



そしてあまり有名ではないが、
1840年
シャルトリューズ.ホワイトが誕生だ
生産期間は1840年~1900年
1880年に一度生産停止
1886年より再開
1886~1900年の期間生産再開するが、またも1900年に生産停止。
アルコール度数は30度である。



話は戻り
1860
蒸留施設を
フルヴォワールという場所に移転

フルヴォワールはシャルトリューズ修道院から少し山を下った場所にある
{065B5CD1-A858-4456-8CC7-DFE09F999998}


もちろん鹿山行ってみた

フルヴォワールのシャルトリューズ蒸留所の跡地
1860〜1935年
{D6969463-0015-43AE-B041-AB778E8D931D}
  

こういった廃墟が建ち並ぶ
{CB32999C-2BF9-49D2-B740-21BD210266A5}

この1860年 蒸留施設をフルヴォワールに移してから生産力が拡大し、
ここから世界のシャルトリューズとして有名になってゆく


そう海外進出を本格的に始めるのだ



シャルトリューズ社長エマニエルさん曰く
1862年 イギリスへ輸出を皮切りに

1865年アメリカ

1867年ロシア

そして日本へは
1890年代に輸出をしていたという事実


シャルトリューズはこの時代に大きく繁栄する


が、ここでまだフランス国内の政変が起きる


1905年に制定されたフランス国内での政教分離法


いわゆる国政、国家と表裏一体だった宗教を完全に分離させることだ


信仰は完全に私的領域として国からの宗教予算を一切廃止とし
無認可の修道会は強制的に閉鎖させられた
例に漏れずシャルトリューズ修道院も解散だ


1903年以降、シャルトリューズ修道会はまたもや解散


問題のシャルトリューズはフランスから離れ
スペインはタラゴナに移る

長々と書いたので続きは後編に書く

②後編 シャルトリューズ修道院へ行ってきた

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鹿山です。


前編では19世紀末までのシャルトリューズの歴史を書いた


前編で書いたことを簡単におさらいだ


⑴1084年 ブリューノ聖人がシャルトリューズ山に修道院を構える


⑵1605年 パリのシャルトルーの修道士(シャルトリューズの修道院にいる修道士達と同じ考え方を持ち、信仰する一派)が、薬草を用いた薬を作り始める。


⑶1737年 シャルトリューズの修道院に蒸留所が開かれ、蒸留開始 


⑷1764年  グリーンシャルトリューズ 誕生


⑸1789年 フランス革命 修道会 解散 追放


⑹1815年 ナポレオン失脚


⑺1816年 シャルトリューズの修道士達帰還


⑻1838年シャルトリューズ.イエロー誕生


⑼1840年シャルトリューズ.ホワイト誕生


⑽1860年 蒸留所の場所をフルヴォワールに移転 


(11)1903年 フランス国内の政教分離法により又も修道会解散
↓            
スペインのタラゴナに蒸留所建設、稼働、修道院の一部を移転














そう、ここからが続きだ













1903年からフランス国内の政教分離法により
シャルトリューズ修道会は解散



一部の修道士達はスペインはタラゴナに移転する
{0CD832DC-6E1A-4793-9459-45AD6D45D25B}


シャルトリューズも1903年以降はこのタラゴナの地で製造を続ける
{659106EE-696B-4DC1-BB8E-138290276F44}





その後、1920年代にシャルトリューズ修道会はフランスへ戻ることになり1920年代からフランスで製造を再開することになるが
スペインタラゴナの地では1989年までシャルトリューズの製造が続けられる
そうスペインとフランス両方で作られ続ける







話題脱線して鹿山の大好きなアブサンの話しになるが
アブサン界の雄である
PERNOD absintheも1915年 アブサン禁制以降
フランスではアブサンが作れないので
このタラゴナの地でアブサンの製造を続ける



   






ではなぜタラゴナなのか?










当時大きなフランス人コミュニティがあったこと

②ワイン生産地で原料用アルコールであるグレープスピリッツが安価で手に入ること

なにか宗教的な理由があるかと思ったが
この二つだけの理由により
PERNODもシャルトリューズもタラゴナへ移転したのだ





そして、シャルトリューズがタラゴナへ移転した
1903年がシャルトリューズにとっての大きな転換期となる


1903年以前まではシャルトリューズはシャルトリューズの修道士達によって製造から販売の一切を担っていた


この1903年スペイン、タラゴナ移転は民間の信徒達の手引きによる移転なのだ
この時代から民間が介入する
商標名も

『Tarragone par les lesPèresChartreux』


そう、chartruseではなく、Chartreux

{F011D9D7-7955-4074-B441-A09774B56E5E}

Peres Chartreux Taragone 1930's

Chartreuxの意味は

シャルトリューズの修道院にいる修道士達と同じ考え方を持ち、信仰する一派
いわゆる民間の人達である
Peresは父親の意味

Chartreux(chartruseの信徒達)
Peres(父親)
Chartreuseだ
民間の信徒達の助けあってこその
タラゴナシャルトリューズなのだ




そして、フランスから追放されたシャルトリューズ修道会は
無論、
フランスからシャルトリューズの商標が奪われた


バーテンダーなら皆が知っている
リキュール総合メーカーの
キューゼニア社によって商標が渡るフランスで生産される
それが

『CompagnieFermièrede la Grande Chartreuse』

となる






このキューゼニア社がシャルトリューズの呼称を保護しなかった事により、当時より名声を得ていたシャルトリューズにあやかって
シャルトリューズのイミテーションがこの時代より増え始める


シャルトリューズ蒸留所にあるビジターセンターにあるイミテーションコーナーだ
{0E8C763D-676E-45DE-BC77-55400B3DE549}


日本のモロゾフシャルトリューズもある
(原モンデ酒造)
{96223735-5167-4F02-9DFA-82CD12F12D61}



しかし、このキューゼニア社がシャルトリューズの商標権によってフランスで製造していたシャルトリューズはキューゼニア社独自のレシピであり、
(本家レシピはシャルトリューズ修道士によりスペインはタラゴナに持ち込まれた為)
あまり人気がでなかった

さらにはシャルトリューズの信徒達によって
フランス以外の近隣諸国のシャルトリューズの商標権を有していた為、輸出ができず売上が先細りになり
けっきょくフランス国内においてのシャルトリューズの商標権を有したキューゼニアのシャルトリューズは 
1927年に破綻する。
1930年 商標権を売却するのだ





その破綻に拍車をかけた理由がこうだ






ここからが本家シャルトリューズの攻勢だ
1921年〜1929年のわずか八年間
シャルトリューズの信徒達の手引きによりシャルトリューズは
フランス国内のマルセイユにて蒸留所を建設して稼働させフランス国内でもシャルトリューズを製造開始



しかし、1921年〜1929年の期間はシャルトリューズの商標権はキューゼニア社に帰属する

よってフランス マルセイユでシャルトリューズ修道会は製造をするが
呼称はスペインはタラゴナの
『Tarragone par les lesPèresChartreux』のままで
リリース
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マルセイユで製造されたシャルトリューズ
Peres Chartreux Taragone 1921年〜1929年

そう、マルセイユだが、Chartreuseの商標がフランスのキューゼニア社に帰属しているので
タラゴナの名前のままリリースをしているのだ








これによってフランス国内でも本家シャルトリューズが流通する事により
1927年売上が先細りになった
キューゼニア社のシャルトリューズが破綻

1930年
その商標権をシャルトリューズの信徒達が買い戻し、
本家シャルトリューズ修道会に寄贈



政教分離法により追放されたシャルトリューズ修道会ではあるがこの時代には政府の暗黙の了解で
フランスへ帰ってきている
(第二次世界大戦後、政府は修道会の追放命令を完全解除し、大戦以後は合法として戻ってきている)







1930年より、マルセイユから元の場所にあった

グルノーブルの近くのシャルトリューズ山の山中にある
1860年から続いているフルヴォワールの地に
帰って製造を再開するのだ






が、しかし








1935年   大規模な地滑り、天災が起きる
{59490515-F462-459E-A0B9-63C7EC8A327B}




シャルトリューズ修道院へ向かう途中に廃墟になった
フルヴォワールの修道院跡地を見る事ができる
{87BE89EB-6DCD-44C3-911F-EE14A25F08F2}





その後、
再建をして
1935年以降いまのヴォワロンの街へ蒸留所は移転するのだ
{5CC29AF7-86B5-49DF-BA3C-D08F24E3F888}







そこからさらにヴォワロンの街から
2018年 シャルトリューズ山にあるエギュノワールに蒸留所建設・稼働するのだ

※ エギュノワールにはシャルトリューズ山にある修道院の修道士達が話し合いや集会をする場所(フランス語 la grange)があり、現在も当時の建物が存在する場所だ
ここをリノベーションする
{098C4853-D074-4EF7-BBF9-8A536679BF56}







話は戻り、レシピの話をする


タラゴナ移転の1903年から
民間の信徒の手助けが必要となり
必然的にシャルトリューズの秘伝のレシピを知るのは
二人だけというルールが自然確立され伝統になり今日に至る
(秘密保護の為にレシピを知る者を少数にした)







シャルトリューズ修道院には現在約30人の修道士が暮らしており
その中で薬草の調合を施しレシピを受け継ぐものは
二人なのだが、その二人の理由は実は特にないらしい






そう、二人なのだ







ただ、日本のシャルトリューズを検索したり、
日本のカクテルブックや本、ネットのソース元を閲覧すると
『シャルトリューズのレシピを知る者は三人とある』
{0517AB50-7DA7-43C3-99CA-6A27F124AE2D}



海外のソース元でシャルトリューズに関して色々な言語検索をかけるとシャルトリューズのレシピを伝統的に受け継ぐ者二人なのだが、
日本のソース元は三人なのだ



この謎について現シャルトリューズの社長である
エマニエルさんに聞いてみた







これには理由があった








十数年前にハーブ類の調合をし、
レシピを知る二人のうち一人の
ブラジル出身の修道士がある日突然
国に帰りたいということになった。







無論、レシピを知るものが一人減ってしまえば
シャルトリューズ修道士の中より新たに一人レシピを知る者を新たに選ばなければならない。
そこで、ブラジル人修道士の代わりに新たに一人、
レシピを知る修道士が育てられた。







が、








当時の修道院長が国に帰ってしまったブラジル人修道士にどうしても戻ってきて欲しいと懇願した



そのブラジル人の彼は
年齢が三十代になってから年齢的に遅くに
シャルトリューズ修道院へ入った

いわゆる俗世にいた期間が長く
ラテン国家出身ということもあり陽気で修道院の中でも異質で人間味があったらしい


彼がいなくなったことにより、何か歯車がよく噛み合わなくなったのか、
数年後にブラジルよりまたシャルトリューズに
呼び戻される




そのブラジル人が帰ってきたことによって、
彼がまた生産に携わる事になり、一時的に
伝統的な二人だったのが三人になってしまった









そして、新しくレシピを享受された修道士は
生産から外され、
現在はまた二人になっている





これが日本における情報が三人のままになっている理由だ

鹿山はすっきりした










シャルトリューズの修道士達は毎週月曜日に山から降りて外出することを許される





しかし、レシピを知る生産者二人は月曜日に限らず
いつの時でも外出を許されるという特権を持っている。
そのブラジル人のシャルトリューズ修道士は
俗世時代が長く、陽気な性格の為、
民間のシャルトリューズ蒸留所関係者とも
仲が良くそのパイプ役として大切だった
{17B7C16F-7262-43A1-92F8-FCC873A119D4}


現代においてのシャルトリューズ蒸留所は
民間が生産、蒸留、熟成をしており
レシピを知る二人の修道士がコンピューターで
遠隔管理をしている



{77F985C6-CEDA-4E0D-ABA3-1A427C58D6E7}

いわゆる秘伝のレシピというのは
ハーブ、スパイス類の調合であり、
この分量がいわゆるブラックボックスとなる

この配合を二人の修道士が行い
一つ一つの麻袋に番号を振り分け、
シャルトリューズの信徒達(シャルトリュー)
がシャルトリューズ修道院のあるシャルトリューズ山からヴォワロンにあるシャルトリューズ蒸留所へ運ぶ


そこに民間のシャルトリューズ蒸留所が
蒸留機へ振り分けられた番号の麻袋を順に蒸留釜に投入してゆくのだ



そして出来上がったものはフレンチオークの大樽へ保存される
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延々と続く地下セラーだ

基本的に写真撮影は禁止だ
許可をもらいここまでの写真ならOKとの許可を得た


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樽から滲み出るシャルトリューズだ

こそげ落として食べさせてもらった








来年からシャルトリューズ蒸留所
がヴォワロンの街から
シャルトリューズ山にあるエギュノワールに蒸留所建設・稼働する






楽しみである





長々と前編、後編とシャルトリューズについて書いた 

是非シャルトリューズの素晴らさがお客様一人一人に伝わればと思う




今宵、西新宿 Bar BenFiddich
お待ちしております
















自家製スーズリキュール(ゲンチアナリキュール)作ってみた

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こんにちは




鹿山です







日本市場においてみんな大好きスーズ(SUZE)について書く









BenFiddichに鎮座する歴戦のスーズ達だ
いくばくかはもう空でBenFiddichのお客様の胃袋に収まった
{937B5F1D-5839-46F0-BBF9-535552DDC511}
左から
①現行のSuze
②Suze apéritif 1940's
③Suze digestif 40度 1930's
④Suze digestif 40度 1940's
⑤Suze digestif 40度 1940's 後期
⑥Suze digestif 40度 1950's 
⑦Suze apéritif 1980's

1950年代後期まではdigestifのSUZEが作られていた














古酒のスーズ(SUZE)を集めるほど鹿山は大好きなのだ















なので自家製スーズ(SUZE)を作ってみた
{B2E1E038-D648-4F89-A4DA-238E427672CC}








作った過程は後述する













ではSUZEとはなにか?












いわゆるフランス圏における
ゲンチアナリキュール













ではゲンチアナとはなにか?












リンドウ科の一種であり
正式名称はGentiana lutea(ゲンチアナルテア)
{D3DB6C2B-6299-4FC3-9C08-3EE5C8BE11E8}
おっさんが左手に持っているのが採掘用の
【悪魔のフォーク】
と呼ばれるゲンチアナ採掘用の三つ又のフォークだ

右手に持っているのがゲンチアナだ


根の部分を使うのだ






まずゲンチアナの根は,ヨーロッパ諸国において薬用として古くから利用されてきた

ゲンチアナの名前の由来は紀元前2世紀ごろのイリリア国(アドリア海沿岸地方)の王ゲンティウス(Gentius)の名前に因む


古代ギリシャ薬草学の父

ペダニオス・ディオスコリデスによると

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ディオコリデスの薬物誌』

ゲンチアナには「その根は温性で収斂作用がある。搾り汁は脇腹の痛み,高い所からの転落による障害,痙攣に効果がある。水とともに服用すれば肝臓や胃病の患者を救う。創傷治療薬として外用する。搾り汁は深く浸蝕した潰瘍の薬になる。また炎症を起こした眼を治療する軟膏にもなる。根は白斑をきれいにする作用がある」






そう、古くから利用されてきた







そして現代においても

 食欲増進や消化不良,胃痛,胸やけ,胃炎,下痢,吐き気などの治療に使う

エキスやチンキ剤としてもよく出回っている

エキスは強壮剤として(ツムラの胃腸内服液にも使用)

その他、ネットでも

健康食品、ティーとしても買えるのだ










黄色味を帯びた黄金色の色彩である
ゲンチアナの根のリキュールは
いつから【嗜好品】として使われ始めたのか?










商業レベルになる前はフランス オーヴェルニュ地域圏の農夫が白ワインにゲンチアナの根を浸漬して滋養強壮剤として使っていたのを
商業化させたのが1885年
『Gentiane Salers』が皮切りだ



以外に新しいのだ



因みにSUZEにおいても創業は
1885年  同時期だ
初期のブランド名は
Gentiane SUZE』

度数は当時37度とアルコール度数が高かった
今日においてはアルコール度数15度だ。






第二次世界大戦以前のゲンチアナリキュールは
度数も高くビターな味わいだ。
これはリキュール全般に言えることだが、
第二次世界大戦以後のリキュールというのは
ゲンチアナ以外においても度数は下がり、万人受けするような造りでまろやかになる
世界的な一つの大きな時代の転換期により
全般生活レベルの向上なのか、文化の転換なのか、
人々の嗜好は変わり、各社メーカーそれにアジャストしてゆく












日本においてのフランス式ゲンチアナリキュールは
スーズ(suze)一辺倒でこのブランドしか正規輸入はなされていない















ではフランス式と述べたが、フランス式とはなんだろうか?

いわゆる黄色味を帯びた黄金色のゲンチアナリキュールはフランス式だ











ゲンチアナの根は様々な薬草種に使われる。
そう、イタリアの苦味酒アマーロ(Amaro)やクロアチアのペリンコバックにもゲンチアナの根は使用




アマーロの話しにしよう
アマーロ(Amaro)の『嗜好品』としての商業レベルは
1800年代初頭に始まる



フランスにおけるゲンチアナリキュールより100年近く早く嗜好品として売られる



無論、アマーロ(Amaro)の苦味酒の苦味に関しては
ゲンチアナだけではない。
ゲンチアナ以外にもワームウッド(ニガヨモギ)
キナの皮(トニックウォーターの原料)
様々だ


いわゆるリキュールの商業化というのは
もっと歴史が古い
元々は薬だ
ただ、商業化レベルに関しては
16世紀には様々な果実やハーブ、スパイスを使ったリキュール達が商業ラインにのっている。

ゲンチアナなどを使ったもの達は16世紀、17世紀、18世紀においては嗜好品としてではなく、医薬品としての立ち位置だ。
修道院、薬屋、もしくは手作りで行商が売っていた。19世紀になって苦味酒はようやく
嗜好品としての立ち位置として商業生産されるのだ





ではここでフランスの黄金色に帯びたゲンチアナリキュールとイタリアのアマーロ(Amaro)の類に含まれる
黒ずくめの差異はなんだろうか?

①フランスのゲンチアナリキュール
高純度のアルコールにゲンチアナ、柑橘のピール、
バニラなどの芳醇系を少々、
カルダモンなどのスパイス系を少々
砂糖

ほぼゲンチアナで構成されこの黄金色は
高純度のアルコールによるゲンチアナルテア(黄色リンドウ)の色素吸着によるものだ


②アマーロ(Amaro)の類
Amaroは広義だが、
主には高純度のアルコールに苦味は
ゲンチアナ、ワームウッド、キナにより、
そこから柑橘のピール
そしてあの黒ずくめは多めのスパイス類により浸漬する事により色彩が重めになる。
仕上げはカラメルで綺麗な黒ずくめにするのだ









大なり小なりの規模の会社が
フランス国内においてゲンチアナリキュールを作っている








特にゲンチアナリキュールの産地であり
ゲンチアナ.ルテアの自生地は



アブサンabsintheのメッカであるフランシュ=コンテ地域権のジェラ山系のあたりなのである。

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この地域は鹿山的聖地アブサン文化圏だ

それとは別に

パンリキュール(モミの新芽のリキュール)が特産。


さらにはゲンチアナリキュールも特産である。







なぜ特産なのか?







言わずもがな一大自生地であり、ビュンビュン生えてるのだ







毎年鹿山はこのフランスとスイスの国境線の両国のアブサン蒸留所へ自己研磨の為赴く








毎年車を走らせての国境線の山間道中に元気よく生えてるのだ

{AC755A61-7CF7-4193-B2DA-29BA0C64A008}
上記写真は2016年7月に赴いた時の写真だ
夏場により大輪の花を咲かせている



下記が2017年10月に赴いた写真だ
花は枯れているが根は準備万端となる
{14606157-DC1F-4BF5-8A43-D381C2D4C557}




これを採掘するのだ
{83E34A80-1107-4640-80EB-7FC814F2448C}


そしてザックザク掘るのだ
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はいどーん!

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このスイス、フランスの国境線の山間部には
先ほど書いた通りアブサン蒸留所がひしめき合うエリアでもあり、アブサン発祥の地だ。
100ℓ前後の小型蒸留機で日本では考えられないくらい小さな造り手がたくさんいる
absinthe蒸留家の彼らも片手間で夏〜秋にかけて
自身でゲンチアナを掘り起こし
ゲンチアナリキュール、又はゲンチアナから糖化、発酵させ二回蒸留し、ゲンチアナのオードヴィーを造る。
とても小ロットで作るのだ。

彼らの作るゲンチアナリキュールのレシピは
今日のSUZEなどの万人受けする度数15度などの優しい味わいではなく
いわゆる19世紀後期から第二次世界大戦以前の
度数が高く、尚且つゲンチアナ特有の土臭さを出したゲンチアナリキュールを作るのだ

自身で掘り起こし、自身で作る為、基本はあまり出回らない


今回のゲンチアナリキュールのレシピは
鹿山が崇拝する新進気鋭
若手absinthe蒸留家であり、
Aymonier蒸留所のフランソワさんに教えてもらった
{7D22C147-6967-404C-B69B-FAC2315C2546}



①高純度のアルコール(スピリタス)
②ゲンチアナの根(メインです。)
③レモンピール(爽やかさが生まれます)
④オレンジピール(レモンとの対比で少々)
⑤バニラビーンズ(芳醇さを伴います)
⑥カルダモン(入れすぎ注意)
⑦リコリス(膨らみをもたせます)
⑧生姜 (フランソワの独断独自材料)
⑨砂糖
⑩水






では、始めよう
{E063FA87-F607-45BD-97DE-441097E230E6}






もう諸々、剥いたり、ザク切りにしたり、砕いたり




トクトクと アルコール投入だ
{58E8FD84-8663-4A91-ADC8-1B4539634E8A}



これを1ヶ月間寝かせる
{390DFEAC-ED65-4225-B8DA-3DD8A4F861C3}



そして、フィルターで濾し
砂糖と水を加え度数調整をすれば....
完成だ!
{56263830-C3C9-4160-8486-217C6BD94422}


全部で3種類を作った

アルコール度数
28度
30度
33度
柑橘のピールの量、ゲンチアナの量、スパイス配合などを変えた
三つのタイプを作った




数に限りがあるのでお早めにどうぞ






今宵、西新宿 Bar BenFiddich
お待ちしております


world Best Bar50 ワールドベストバー50

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鹿山です











久方のブログ更新だ












2017年に置いてBar BenFiddichで奇跡が起きた













時は遡り2017年 8月










なんのけなしに仕事終わりに携帯をいじくっていたら
ウィリアム.リード社が主催するWorld Best Bar50から一通のメールが届く















Congratulations – Bar Benfiddich has been voted as one of The World’s 50 Best Bars 2017!』
















そう、まさかだ













2017年度においてWorld Best Bar50にランクインしたのだ

{BAAACF5E-9D07-48AE-928A-4400583C211F}







そもそもWorld Best Bar50とはなんなのだろうかというとよくわからない人もいるので説明しよう





日本国内において認知度が高いのは
World Best restaurant50だ







三年前に日本橋にあるマンダリンオリエンタル東京に
世界一のレストランとなったデンマークはコペンハーゲンのNOMAが期間限定レストランを開いたのは記憶に新しい








World Best Bar50
World Best restaurant50
共に
イギリス発信の
ウィリアム.リード社が主催する会社だ











ありがたい事に選んで頂いた









感謝









ここで疑問だ









では、いったいどういう選考基準か








説明しよう









このランキングというのは投票権を有している
投票者によって決まる
その数は500人しかいない
投票者は世界中に散らばっている
この投票権を有している人物というのは
ウィリアムリード社から選ばれた人間だ
主に
酒類業界関係者の人物で構成され
グローバルなコンペティションで優勝経験を持つようなバーテンダー、飲料雑誌の編集長、各社酒類メーカーの人物など
深くBar業界に携わっており世界のBarの事情をよく知る人物となる


これを一人の投票者は
『1位〜7位の
Barを選び
自身の在住する国は4店舗までとし、
最低3店舗は自分の国以外に投票すること』




これの総合で毎年順位を発表するのだ







シンプルだ








2017年度においてBenFiddichはランクインさせてもらった。
去る10月にロンドンにてTOP50の発表及びセレモニーのインビテーションを頂いたので
弊社従業員と共に参加する為に
ロンドンへ行ってきた














ブィーン
{D7CA46B1-ED71-4AEC-849D-E7496663EBE1}















ロンドン到着
{16B90329-187F-46C3-9946-7F5F9DE91E57}









そこからロンドン市内にある
施設にてセレモニーの前に懇親会
{0A85A94D-343C-42B2-8060-0031F81A7726}


受付を済ませ
{82FA5F17-BC21-4BC5-949D-6D011CDAAD7A}




みんなで現代的インドフュージョンのディナーを召しがる
{A1A4F6DD-4E37-4A2E-83EA-A441C71096CD}







そもそも語学がそこまで堪能ではない鹿山が
こういった海外で会食の席に座ることがままあるが、
もう人見知りMAXだ
ましてや、欧米人主体、彼らは日本人よりも圧倒的おしゃべりさんが多いので
ひたすら料理に舌鼓を打つ
{10562DEF-B390-4D13-A092-B0A31A25D264}








こういったものがもらえる
{2884435A-8398-4929-9B2B-77D951096CE7}









そこから貸し切りバスに乗りロンドン市内を
各国バーテンダーと共に同乗し散策
{C17C4AE3-845E-4271-ADBF-8F435352FBC5}



{9F9E2F7C-8ABA-4F46-9A6F-587FEF661DF9}







セレモニー会場であるロンドンの大聖堂
{70DDCECD-718F-4A93-A69E-9666D973B1BD}






招待を受けた各国の酒類関係者及びバーテンダーで会場は埋め尽くされる
{271628C1-CDFA-4CF9-90DB-B128460BB9FE}








そこから50位〜1位まで順に発表をされてゆくのだ
{3B4B89EE-F823-4BE6-BDF3-DBF41F08AB6C}










弊社 BenFiddichは36位
{33D57144-6B1E-4A04-84C0-AD47589E9DAC}


以下、2017年度のWorld Best Bar 50のリストだ


1. AMERICAN BAR AT THE SAVOY HOTEL, LONDON, U.K

2. DANDELYAN AT THE MONDRIAN, LONDON, U.K

3. THE NOMAD AT THE NOMAD HOTEL, NEW YORK, U.S.A 

4. CONNAUGHT BAR, LONDON, U.K

5. THE DEAD RABBIT, NEW YORK, U.S.A

6. THE CLUMSIES, ATHENS, GREECE

7. MANHATTAN, SINGAPORE, SINGAPORE

8. ATTABOY, NEW YORK, U.S.A

9. BAR TERMINI, LONDON, U.K

10. SPEAK LOW, SHANGHAI, CHINA

11. LITTLE RED DOOR, PARIS, FRANCE

12. HAPPINESS FORGETS, LONDON, U.K

13. BAR HIGH FIVE, TOKYO, JAPAN

14. LICORERÍA LIMANTOUR, MEXICO CITY, MEXICO

15. ATLAS, SINGAPORE, SINGAPORE

16. DANTE, NEW YORK, U.S.A

17. ORIOLE, LONDON, U.K

18. BROKEN SHAKER, MIAMI, U.S.A

19. CANDELARIA, PARIS, FRANCE

20. HIMKOK, OSLO, NORWAY

21. THE GIBSON, LONDON, U.K

22. BLACK PEARL, MELBOURNE, AUSTRALIA

23. FLORERÍA ATLÁNTICO, BUENOS AIRES, ARGENTINA

24. OPERATION DAGGER, SINGAPORE, SINGAPORE

25. 28 HONGKONG STREET, SINGAPORE, SINGAPORE

26. TRICK DOG, SAN FRANCISCO, U.S.A

27. SWEET LIBERTY, MIAMI, U.S.A

28. INDULGE EXPERIMENTAL BISTRO, TAIPEI, TAIWAN

29. LOST & FOUND, NICOSIA, CYPRUS

30. BABA AU RUM, ATHENS, GREECE

31. TIPPLING CLUB, SINGAPORE, SINGAPORE

32. BLACKTAIL, NEW YORK, U.S.A

33. JERRY THOMAS SPEAKEASY, ROME, ITALY

34. LE SYNDICAT, PARIS, FRANCE

35. TALES & SPIRITS, AMSTERDAM, THE NETHERLANDS

36. BAR BENFIDDICH, TOKYO, JAPAN

37. EMPLOYEES ONLY, NEW YORK, U.S.A

38. SCHUMANN’S, MUNICH, GERMANY

39. LA FACTORIA, OLD SAN JUAN, PUERTO RICO

40. QUINARY, HONG KONG

41. AVIARY, CHICAGO, U.S.A

42. MACE, NEW YORK, U.S.A

42. NIGHTJAR, LONDON, U.K

44. LINJE TIO, STOCKHOLM, SWEDEN

45. THE BAXTER INN, SYDNEY AUSTRALIA

46. ABV, SAN FRANCISCO, U.S.A

47. NATIVE, SINGAPORE, SINGAPORE

48. TOMMY’S, SAN FRANCISCO, U.S.A

49. LOBSTER BAR AND GRILL AT SHANGRIL-LA HOTEL, HONG KONG

50. IMPERIAL CRAFT, TEL AVIV, ISRAEL





正直、Bar BenFiddichが
World Best Bar 50に入れるとは思ってもみなかった

鹿山の人生において
この場にいれたことが
良い思い出であり、
今後の精神的な糧にもなる


限られた投票者の中での結果である
弊社が世界で50番以内というのは
些か、断定的ではなく
この世界観での50番以内だ



20歳の時にバーテンダーを始めて
14年間


このたった14年間でもBar業界というのは大きく変わったと思う

14年間でも流行やその時代にピンポイントでの新しい価値観などがあった






基本的にみんなが右に曲がれば
左に曲がることを意識していた








これが拾ってもらえた








なんで、BenFiddichって行くとこんな外人多いの?
とよく質問がくる







きっかけがあった






そもそもそれのきっかけがこの鹿山がたまに書いてる
アメブロだ







一番最初はどう辿り着いたのか
鹿山のアメブロをアメリカ人記者が見つけて
取材の依頼があった
最初はabsintheの件






そこからその記事を見てきた
別の海外の記者がまだ別件で取材
(鹿山の怪しい畑だ)







また、その記事をソースに見た別の国の記者が
また取材






日本語で書いているのに彼らはよく調べている






そして
取材が常に輪廻する形となり認知度が膨らむ









気がついたら海外から呼ばれるようになっていた








そして2017年度において
やってきたことが
一部の世界観で認められ
感謝の気持ちで一杯だ






これからもBenFiddichに御来店したら
お客様を笑顔にできるようなBarを目指したい






ありがとうございました
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①前編 1777年以前のアブサンの原型であるボトルについて

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鹿山です


2018年7月1日をもって

Bar BenFiddichは

五周年を迎える


まだまだ五年というと若造、若輩


オープン当初


1人で切り盛りしていたBenFiddichは


今では同ビルに二店舗目をオープン

鹿山含めた5人で切り盛りをしているBarとなった

1人でやっていた頃はある種の独身気分で自由気まま

今では従業員も増えると家族の父親になった気分



これも支えてくださったお客様や関係者、弊社バーテンダーのお陰でここまでこれたと思う



感謝



周年パーティーなどを開催し

自分が主役になるというのは

鹿山は気恥ずかしいし、

あまり柄ではない


ただ


五年という十年に向けた一つの節目として

自分の中ではやはり感慨深いし、考えさせられる



なので、感謝の意を込めて


鹿山のコレクションを一つだけ開けたいと思う

{44D74A59-575C-4123-A5EA-AC9CD192E397}
鹿山のabsintheコレクションとしても一番古いボトル


いや、absintheではない




absintheの原型だ


absintheの原型ってなんだ?



そう、vermouth(ベルモット)だ



ただ、歴史上のワインにハーブ、スパイスを浸漬させたものの種類を一口でvermouthというのはあまりに広義

割愛するが、

紀元前の文明時代からどの地域にもワインに薬草を漬け込み

医療目的とした滋養強壮はあったのだ

そこにabsintheの主原料である

ニガヨモギ(wormwood)は古くから

vermouthの属性では多く使われている



僕らの知ってる嗜好品としてのvermouthの歴史の確立は1800年代以降




なんで1800年代以降なのか?



大きくは

1700年代後期にイギリスに端を発した産業革命が起き世界観が変わる

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物流交通網の整備、富の拡大が増えれば都市部の嗜好品も増え、

さらには現代的医療が確立されてくれば

立証不透明な民間医療薬だった薬酒も立場は変わる



1700年代の終わりには薬液としてのvermouthの使用は終焉に向かう

特にはイタリアとフランスでは

食前酒としての嗜好品として使用が増える


その証拠に

1786年イタリアでは嗜好品としてのvermouthの始祖


Antonio Benedetto Carpano氏が

カルパノ社を興す

いわゆる今のイタリアンベルモットのスウィートベルモットだ

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いや、フランスも負けてないぞ


1813年フランス

Joseph Noilly氏によって

みんな大好きノイリープラットも確立

フレンチベルモットの元祖であり、いわゆるドライベルモットだ

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この産業革命以後の嗜好品の拡大、物流交通網のインフラ、現代医療の進歩による

vermouth以外にも様々な薬酒というのは嗜好品に転換


アマーロ、アブサン、シャルトリューズ、ベネディクティン、etc...こういった1800年以前、薬酒だったものが薬酒の嗜好品としてのブランドを確立し、(薬としての立ち位置が必要なくなる)1800年代以降に形となる



補足するならば

産業革命以前もvermouthは流通している

大航海時代には長い航海に耐えるため

度数を上げ、糖分を加えて保存性を高めて船に積み込まれている。

そう、暑い南方の国へ酒類を搬送するのに

vermouthは適していた。

バーテンダーなら皆が知ってるイギリスのインド植民地時代のトニックウォーターのキニーネによる

マラリア予防の歴史は周知の通り

しかし、キニーネによるトニックウォーターだけではなく

17世紀、18世紀には医療目的かつ嗜好品として

『wormwood wine』『ニガヨモギワイン』が

インド植民地で

普及している。

これは白ワインにニガヨモギを浸漬し、糖分を加えたものだ。

これは胃腸を整えるために推奨された



話は戻り

産業革命以降,以前の世界と世界観の変換により

vermouthが完全に嗜好品となったことは書いた

それではBenFiddichにあるこちらの

1777年以前のabsintheの原型であるボトルについて

書きたい

{2F228451-66A3-4413-B2C0-A058D8AAAD03}

ボトルとしては1777年以前

なぜ1777年以前かは後ほど書く

その前にこのボトルは


カテゴリとしては

『Vin d'Absinthe de table』


アブサンワイン】だ



日本のBarブックの歴史教科書に書いてある

今のvermouthの語源は

1500年代 ドイツにあった

白ワインにニガヨモギの花を浸漬し、砂糖を加えた

Wermut(ニガヨモギ)に由来する。


このボトルはいわゆるその類の薬屋で売られていた

アブサンワイン


ラベルを読み解こう

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左上から

CADET→人の名前

Apothicaire→調薬草師

Rue st Honore N 108 a Paris→薬局の住所

Wermouth?→印字が擦れてわかりづらい(ベルモットと記載されてあるはず)

Vin d'Absinthe de table→アブサンワイン


ラベルの周りの蛇の絵面→ニガヨモギの象徴

旧約聖書より

エデンの園から追放された蛇が這った後に生えた草が【wormwood】ニガヨモギを意味してる(と思う)



ここで一番大事であり

1777年以前とわかるのが

【Apothicaire】の記載だ


Apothicaire→調薬草師


1777年

当時のブルボン朝 フランス王国のルイ16世の号令のもと法律が作られ

調薬草師が薬剤師になりライセンス制度になる


詳しくはこちら

https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Apothicaire


Apothicaire】→【Pharmacie

になる


日本語だと言葉変換するならば

調薬草師】→【調剤師


フランス行くと薬局がPharmacieなのはその名残

{A95A2659-1599-4140-B8F0-9A0F12DAA456}

この1777年から

王立薬学大学が創立され、一般学習内容が制定され

薬局(Pharmacie)

の店主のみが薬剤師免許を取得でき、その資格のあるもののみが、薬を調合・製造できるという変更内容


調薬草師や類似のカテゴリーである、スパイス調合家、聖職についている人達の薬作りは、禁止されたのである



よってこのボトルはApothicaire表記

1777年以前ということがわかる





いわゆるabsintheの原型なのだ



そう薬です



このフランス革命以前のブルボン朝末期に仕込まれたであろう代物をどうやって手に入れたのか次回書く

{58E66A1B-BD1F-4210-9386-CE2FA3A52E49}

続く


今宵、西新宿Bar BenFiddichお待ちしております


②後編 1777年以前のアブサンの原型であるボトルについて

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前回は弊社 BenFiddichにある一番古いボトルである
1777年以前のアブサンの原型ボトルについて】
の記事を書いた。

今回はその続き
及びこのボトルを得た経緯

まずはラベル情報をおさらいしよう
左上から
CADET→人の名前

Apothicaire→調薬草師

Rue st Honore N 108 a Paris→薬局の住所

Wermouth?→印字が擦れてわかりづらい(ベルモットと記載されてるはず)

Vin d'Absinthe de table→アブサンワイン

ラベルの周りの蛇の絵面→ニガヨモギの象徴
旧約聖書より
エデンの園から追放された蛇が這った後に生えた草が
【wormwood】ニガヨモギを意味してる

ここで一番大事であり
1777年以前とわかるのが
【Apothicaire】の記載

Apothicaire→調薬草師


1777年

当時のブルボン朝フランス王国のルイ16世の号令のもと発令された法律が

調薬草師が薬剤師になりライセンス制度になる


詳しくはこちら

https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Apothicaire


【Apothicaire】→【Pharmacie】

になる


日本語だと言語変換するならば

【調薬草師】→【調剤師】


この1777年から

王立薬学大学が創立され、一般学習内容が制定され

薬局(Pharmacie)

の店主のみが薬剤師免許を取得でき、その資格のあるもののみが、薬を調合・製造できるという変更内容


調薬草師や類似のカテゴリーである、スパイス調合家、聖職についている人達の薬作りは、禁止されたのである



よってこのボトルはApothicaire表記

1777年以前ということがわかる






これは

いわゆるabsintheの原型であり

【Vin d'Absinthe de table】



薬屋で売られていた胃薬としての用途も兼ねている



中身は

白ワインにアルコール強化、ニガヨモギを漬け込み砂糖で甘みをつけたもの

いわゆるvermouth


では今のabsintheが

今の味わいになったのは

いつ頃のことだろう


歴史の針を進めると


スイス ヌーシャテル州 ヴァルドトラヴェール地方に伝わる

近隣地域伝統薬用酒に目をつけたのが



①商業absintheの始祖 デュビエ公爵

『Dubied pere et Fils』1798年〜

スイス ヌーシャテル州 ヴァル.ド.トラヴェール地方の薬用酒を初めて商業化


さらに商業absintheの始祖デュビエ公爵の娘婿にあたるアンリ.ルイ.ペルノ氏が独立し

『Pernod et Fils』1805年〜創業

後の世界的アブサンムーブメントを作る

(現世界酒類総合メーカーのペルノリカール社だ)

(フランスのポンタルリエにある大規模蒸留所)



1800年〜absintheが商業化されてから

年を追うごとに今のabsintheの味わいになってゆく


いわゆるabsintheの三大ボタニカルである

アニス、フェンネルのアネトールの含有量が徐々に増えてゆく

このアニス、フェンネルは

スイス ヌーシャテル州のヴァル.ド.トラヴェール地方の自生植物ではない。


このアニス、フェンネルのアネトールの自然甘味成分の嗜好品は南ヨーロッパ圏の十八番だ。

この南ヨーロッパのアネトール文化と

スイスの高山地帯ヴァル.ド.トラヴェール地方に自生する

ニガヨモギを主体にした緑色系ハーブが合わさったことにより今のabsintheの味わいが誕生する






鹿山が入手した

薬屋で売られていた

【Vin d'Absinthe de table】アブサンワイン

1700年代のヴァル.ド.トラヴェール地方で作られた

地域伝統薬用酒

とは違っているが

このabsintheの代名詞であるニガヨモギを主体にした

胃薬という点では共通する





ではこの

【Vin d'Absinthe de table】はどこで手に入れたのか?





毎年10月にフランスアブサンの聖地であるポンタルリエの街にAbsinthiades(アブサンティアード)というイベントが存在する
(ここ)
absinthe生産者
absintheに関係する酒類従事者
absintheをこよなく愛するものが世界中から集結するのだ


鹿山もいてもたってもいられず2017年に参加をしてきた。



このイベントの趣旨は
各蒸留所の自慢のabsintheを出品し、
それを審査員達が得点をつけその年の
ゴールドメダル
シルバー
ブロンズ
の賞を設ける品評会だ。

集まる来客としては地元の人たち
及び外からは
国別としてはフランス以外にも近隣国のスイス、ドイツ、イタリア、チェコからのお客様が多く、遠くからはアメリカ、オーストラリア、南アフリカ、我々日本人と国際色が豊かだ

それと同時にabsintheの歴史にまつわる展示品

アンティークのabsintheグッズの販売などをし、
このポンタルリエの街は
absintheloverの人々の熱気で渦巻き、一つの町興しとなっている

19世紀の古いabsintheスプーンなど当時のアンティーク品が並ぶ

加水用カラフェ、ノベルティの灰皿

absintheファウンテン


19世紀のアンティークのアブサングラス


無料試飲コーナーも並ぶ
















そこで見つけてしまった
















どーん!Vin d'Absinthe de table

アブサン界において有名な
パリからほど近い
フランス オーヴェル.シュル.オワーズにある
アブサン博物館(Le musee de Absinthe)
(ここは最後にゴッホが死去したラヴー旅館にほど近い場所にあり、そこは流石である)


そこの館長であり
アブサン界のボスであり、
著名な収集家及びアブサン研究家でもある
Marie Claude Delahaya(マリー.クロード.ドラエ)
の所有するコレクションが
同じものを二つ持っているとのことで
一本出品されていたのだ















速攻ATMに走り大人買いだ











そしてBenFiddichへ
これまでつらつら書いたが
じゃあこれ美味いのか?




美味しいか不味いかなら判断としては美味しくはない

液面も大分低下している










歴史を飲む






ということだと思う






嗜好品だから






鹿山はそこに喜びを感じられる







歴史が好きだから







ものとして1777年以前であり
フランス革命前だ





その時代のものが現代の2018年に存在する
実在した歴史に想いを馳せて夢想しながら
お酒を楽しめる人なら喜びを分かち合いたい










今宵
西新宿 Bar BenFiddichお待ちしております





①アフリカ地酒 紀行 ウガンダ編 ウンコンボウディとマルワについて

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鹿山です






2018年 12月 





友人バーテンダーS氏より
『ウガンダ行こうよT氏が案内できる』




と誘われ即答で『行く』と答えた





前々からアフリカの地酒について触れてみたいと思っていたところでの誘いだ
近代的ではない、原始的な造り
美味い、不味いではない
風俗、土着の文化に根付いた
日本でバーテンダーしていたら
体験できないようなものを得たかった









なのでウガンダ行ってみた

まずウガンダに簡単についておさらいしよう

正式名称
ウガンダ共和国
ウガンダは旧イギリス植民地
1960年代に正式に独立
東アフリカ高原に位置
平均標高が1000メートルを超え
よって
赤道直下に位置しながら比較的涼しい
有名なヴィクトリア湖がありウガンダ国土18%に及ぶ面積の湖がある
この湖の影響で豊富な降雨
高原地形の肥沃な土地であって
実は住みやすい

在留日本人数も279人いる
(2014年調べ外務省統計)

そしてウガンダは国民一人当たりのアルコール消費量がアフリカの中では
赤道ギニアに次いで
ウガンダが第2位という飲酒大国

ウガンダ国内だけでもローカルな酒は
北部、西部、南部、東部で酒文化、呼称も変わってくる。


行ってみると昼間も言うほど暑くはなく、
夜はかなり涼しい

首都 カンパラ
首都は人口が密集し活気がある

反対に
首都から離れれば広大な自然が広がる

今回行ったのは
コンゴとの国境線近くのエリア
昨今、紛争している地域圏及びエボラ出血熱が流行中なのがコンゴ国境エリアだがここは若干はずれているため案内人が問題ないとのこと
場所は
エドワード湖及びクイーンエリザベス国立公園の近くのkasese(カセッセ)という街の近くの集落へ赴く



大なり小なり
一つの集落に誰かしら酒を作っており
近所の人がそれを買いにくる
案内人のパトリックさんにお願いして
集落の人に聞いて廻って
作ってる方のとこへ訪問させてもった

集落のママ
彼女が作っている



ウンコンボウディ(Umqombothi)

うんこみたいな名前だが
この地域の地酒
Local Beer







もちろんこの地域内にも
通常のビールやウィスキーも出回っている
しかしその手の外国産のものは彼らにとって高価であり、
土着で住んでいる人達はウンコンボウディを飲む








では
ウンコンボウディ(Umqombothi)とは何なのか

Xhosa語(コサ)及びZulu語(ズールー)
由来の言葉


この言葉は南アフリカ共和国、及びジンバブエの言語


そこから固有名詞として
アフリカ、サハラ以南にウンコンボウディという
名詞でローカルビアが広まる


ウンコンボウディの原料は主に
トウモロコシ、トウモロコシ麦芽、酵母、水で作られる

2日ほど発酵させればそれでできあがり
味わいは酸っぱく混濁している。
アルコール度数は3%前後だろう






またウガンダ南部のエンテベからほど近い集落では
ウンコンボウディとは違った
ローカルビアがある

MALWA(マルワ)
という
皆で囲んで長いシノのようなモノで飲む


中身が混濁しているのでフィルターをかませている



これでみんなでチューチューする


ウンコンボウディはとうもろこし
しかし
MARWA(マルワ)
原料はmillet(ミレット)
黍(キビ)だ


ミレットに水を入れる




水分を含ませ土嚢袋にいれ4日ほどで発芽させる


その後
発芽したミレットを乾燥させる
製粉機にいれ粉々にする
その後、穴に入れ土中で発酵させる
天日干し


その後、固まったミレットを
ローストさせる
①乾いてローストしたミレットの固まりと
②製粉した状態のミレットを混ぜ合わせる
③水を加える

左の黄色のバケツが発芽して天日干しローストしたミレット
右のカンカンが発芽して粉砕したミレット

これを真ん中の水色のバケツに混合、水を加える

二日間発酵させればMARWA(マルワ)
の完成だ




左の女の子が持っているのは
小分けにして購入したウンコンボウディ
BenFiddichで飲めます。
(無くなり次第終了)


右がそれを蒸留したワラギ

ワラギに関しては次回、細かく書きたい




今宵、西新宿 Bar BenFiddich
お待ちしております























②アフリカ 地酒紀行 ウガンダ 蒸留酒ワラギ(WARAGI)について

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鹿山です。



前回の続き



アフリカはウガンダへ行ってきたのだ











なぜ行ったか









近代的ではない、原始的な造り
美味い、不味いではない
風俗、土着の文化に根付いた
日本でバーテンダーしていたら
体験できないようなものを得たかった












だから行った











前回はウガンダの地酒であるいわゆる現地の発酵させて作ったどぶろくについて記事を書いた
ウンコンボウディ(Umqombothi)

マルワ(malwa)












今回はWARAGI(ワラギ)について書きたい












WARAGI(ワラギ)とはなにか?










簡単に説明をすると
現地のどぶろくでもある
トウモロコシ由来のウンコンボウディ(Umqombothi)
黍(キビ)由来のマルワ(malwa)
素材原料の違いは関係なしにそれらを
蒸留したものが
Waragi(ワラギ)だ






いわゆる
ウガンダ国内の蒸留飲料の総称







原料はキャッサバやバナナ、トウモロコシ、キビなど多岐にわたり正直なんでも良い










鹿山はそのオフィシャルとしてのWaragiの蒸留所
ではない
現地に遥か昔から根付いていた土着の
Waragi(ワラギ)を
飲みたい
製造現場を見てみたいという想いがあり
現地案内人のウガンダ人に頼んで
探してもらった






そして行ってきた
場所はコンゴとの国境沿いの山奥
ひたすら歩いて進む

道中なぜか子供達がゾロゾロついてくる
ウガンダでも奥地なのでアジア人珍しいからなのか
ずっと
『ジャッキーチェン‼︎ジャッキーチェン‼︎』
と連呼しながらついてくる



そして山の先にある窪地の湖へと向かう



湖へ到着










そして、、、












遂に












どーん











これが見たくてアフリカに来た












これはバナナ原料のWaragiを作っている
(Waragiはウガンダにおける蒸留飲料の総称)
これはバナナ原料であり
もう少し区分けするならば
バナナスピリッツ




酒類関係者ならわかるだろうが
わかりやすく説明をすると




ドラム缶の中に原料である熟したバナナを潰し入れ水を加え発酵させる。アルコールを生成し
その後、薪を燃やしドラム缶を温め蒸留
ホースを通し湖で冷却し、
蒸留された蒸留液はポリタンクへ回収される






湖が冷却炉なんてもう最高ではないか






もらって飲んでみた

荒々しいが良いではないか







アフリカのウガンダでも都市部ではビールやウィスキーなどは多く出回っている
しかし農村部でそういった外国製品またはオフィシャルの国産のものでも彼らにとっては高価
こういう安価なものが安く取り引きされている
こういったもので粗悪な蒸留酒が出回り毎年事故は起きている
しかし
この光景は
とても原始的であり
鹿山はそれが魅力的に感じる

美味いか不味いかだけの判断はとてもチープであり
日本に住んでる日本人の鹿山からすれば
日本では飲むことができない
このWaragi(ワラギ)は
究極の嗜好品だ












なので日本へ持って帰って来た
(左のペットボトルが自家製Waragiだ)








無くなり次第終了








今宵 西新宿 Bar BenFiddich

お待ちしております



















師匠と弟子

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鹿山です。










今日は酒のことではなく、弊社従業員 バーテンダーのこと







2018年一杯で弊社をずっと支えてくれた
松沢健が卒業
(現 B&F店長)
来年度から独立に向けて動き出す






弊社はBenFiddich株式会社

2013年7月にBar BenFiddichをオープンし
2017年4月に同ビルにBar B&Fを二店舗目として
オープンした





2013年BenFiddichオープンしてから
最初の2年間は
ほぼ一人でたまのアルバイトはいたが
コツコツと一人で自由気ままにやっていた



それはそれでとても楽しく
昔から縛られるのが嫌いで自分の赴くままに
やれる環境が欲しくて独立という手段を目標に
バーテンダーを続けた






嬉しく幸いな事に開業してすぐには
一人でやってたBarとしてはボチボチ忙しかった





なので、毎日,最後のお客様がお帰りになったあとにはカウンターで一人腰をかけて
そのまま瞬時に寝落ち


昼間に起きてそのまま締め作業


ちょっと試したいカクテルがあったりすれば実験的なことを昼間にしてお楽しみする


その後すぐ開店作業が始まるという
ループがよく続いていた


半分BenFiddichに住んでて
お客様から『ここ家みたいで居心地良いね!』 
って言われれば
『だって僕ここに住んでますから』
って冗談でよく話した




なので開業当初の2013年〜2015年くらいまでは
BenFiddichの滞在時間が異常に長いので
鹿山のBenFiddichに対する愛着は
皆が思ってるより凄まじい







一つの城を手に入れて
自由気ままに
楽しくやっていたが
日に日にBenFiddichが忙しくなり
流石にもう一人では無理だと判断








ギリギリまで従業員を入れるか悩んだけれども
2013年からお客様としてずっと通ってくれた







松沢健を誘った
彼だったらいいかなと







なぜ
従業員を入れることに悩んだか






もともと一人で営業したくて
そのつもりでのBenFiddichでの箱の大きさ
そんなに忙しいBarになるとも思っていなかった





アルバイトではない
正式な従業員を雇用することによる
オーナーとしての
責任をとらなければいけなかったこと

自由気ままにやって作り上げて好きだった空間が
精神的な部分が壊されるんじゃないかなって思い
最初は躊躇していた





しかし彼はよく働いてくれた


2015年に入社
弊社入社当時は21歳


わからないこともたくさんあったろうに
鹿山のワガママ営業に
ついてきてくれた
入社当初は全然仕事ができるわけではなかったが
物覚えが早くメキメキと成長した
気がついたら英語もペラペラだ



2017年には鹿山がフルーツブランデーにハマり
BenFiddichで扱っていた商材をセパレートする意味もあり
同ビルの二階にフルーツブランデー専門のBarを
オープンし
彼は二店舗目のBar B&Fで店長として任命


鹿山はBenFiddichへの愛着が大いに勝ってるので
B&Fのカウンターに立つことはない
新店舗の
コンセプトであるフルーツブランデーの普及に関しても松沢健は大いにやってのけてくれた











上記を読んでくれればある程度わかると思うが
鹿山は基本的に個人主義者だった












鹿山は直で働いたバーテンダーの師匠がいない
(尊敬する諸先輩のバーテンダーはたくさんいて心の師匠はたくさんいる)

20代の頃は師匠と弟子という師弟関係というのは
とても憧れた
しかし
20代前半でデキ婚して子供がいた自分にとっては
弟子という立ち位置で街場でバーテンダーを続けていくのはとても困難だった
そんな20代を過ごしたから
自分の道は自分で切り拓くという考えかたの持ち主になっていた
だから当時ちょっと尖ってたしカリカリしていた










ただ、自分も35歳になって少し大人になったのか

心境や考え方も
20代の頃やBenFiddich開業当初と比べ
だいぶ変わった



 




それを変えてくれたのが
2018年一杯で
卒業し来年から独立の道を歩む
松沢健だ








弊社で働いてくれて

成長して

卒業して新たな道を歩んでいく松沢健の姿を見て

親心として嬉しく思えるようになった








師匠と弟子のような概念がなかった自分に
うちで一生懸命約束を守って働いてくれたことに
初めて
松沢健は弟子と呼べるような存在となった




彼が支えてくれた
3年と9ヶ月で
最初は躊躇したが自分自身も
オーナーとして
従業員を育てることの大切さ
その喜びを知れたこと
自分の考え方を変えてくれて
少し大人になれた
自分がいて
松沢健にとても感謝している








ありがとう



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